忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

亜インテリ論について

 亜インテリということばが流行っているのだろうか。

 ぼくもつい最近、このことばを使った気がするが、起源は知らない。丸山眞男なのだろうか?ぼくは苦手だと言いつつ、この日記でも何度か、丸山に言及している。丸山の文学趣味がなんとなく好きだからだろう。

 

 ぼくのがさっき目にしたお話は知らない用語オンパレードで困った。注もついており親切なのだが、まず、論旨を自分なりになぞってみよう。

 

 二重過程理論

 直観システム 認知バイアス

 推論システム

 

 環境

 

 人間本性によるバカ 認知バイアス×環境によるバカ=大衆

 

 現在の「政治ファン」が丸山のいうところの「亜インテリ」という見立て

 

 耳学問の受け売りの知識で大衆に影響を及ぼす人たちが亜インテリ

 疑問、耳学問というのは聞きかじったということか。目学問は正統派ということなのだろうか。

 

 亜インテリの代表例としてのネット右翼

 時代背景としての1990年代ディベートブーム 敵、味方図式 チームに分かれて対戦だ!

 ネット右翼の量産化に成功  その一因として「論破のマニュアル化」

 

 並行して起きていた事態 戦後民主主義のマニュアル化 リベラルの亜インテリ化に対する批判『ゴーマニズム宣言

 リベラルの亜インテリ化を批判した結果、保守の亜インテリ化?

 疑問 朝日・岩波文化と『ゴーマニズム宣言』の覇権争いがあったのか!

 「狭義の強制性」ということばがやたらといわれたのは『ゴーマニズム宣言』の後?というか、『ゴーマニズム宣言』でこのことばが使われていたのだろうか。

 

 論者の意見

 亜インテリ批判に共感するというが、その亜インテリは、上記のすべてを指すのかどうか。「彼らの亜インテリ批判に共感」と書かれているので、論者が前述した内容から彼らを推測せよということか。ここがぼくにはちょっとわからんかった。

 

 続けて、論者はみんな「亜インテリ」であるという。すべての知識を網羅できないという意味において。

 「知識のコミュニティ」の落とし穴 知ってるつもりが加速する!

 知っているつもりというバイアス 人間本性を増幅させるコミュニティ 環境

 

 マニュアルを捨てよ、道徳感情に訴えろ!

 

 論者のいう知識人、専門家の役割

 道徳感情を適切に言語化し、洗練させる

 ツイッターの登場により、その知識人や専門家も道徳感情に訴えている?

 

 ぼくは1990年代のディベートブームとか知らんかった。『朝生』が流行っていたのは、そのころなのだろうか。

 というか、ツイッター論だったのか、というのが読んだぼくの感想。

 いつだったかな、情熱で革命とか嫌だという話を見かけて、ぼくはうんうんとうなずいてしまったが、でも、政治って動員ありきなので、革命を起こそうってなったら、情熱が必要なんでないの?と思い直した。で、道徳感情に訴えるというやり方は情熱をたきつけるんじゃないだろうか。急進的な変革そのものが迷惑というのはあるが…

 そんで、ツイッターではそれが言論ではなく、そもそも政治としてやっている人がいるのかもしれないという点。で、政治であるなら道徳感情に訴えるのもやむなしなのではないか。政治としてやってない人のツイートのほうがぼくにはおもしろいが、ツイッターをどう使おうが、その人の勝手ではあるし。

 なんか法人がやっているかもしれないアカウントの存在とか、いかにも政治だと思った。今回、明るみにでたのは自民党擁護系アカウント?

 ふむふむ。野党に対する支離滅裂な批判とかするアカウントとか、あるのかは、しらないが、そういうものをうまく活用すれば、野党支持が増えそうなもんだが…同じことは与党にもできる。

 ツイッターは政治の主戦場にはまだなっていない気がするけど、まだまだオールドメディアのほうが強そう。

 

 ツイッターをぼくはやっていないので、さっぱりわからんね。

 あ、あとぼくも自分のことを亜インテリとか、先日、日記で書いたが、自分が亜インテリか、どうかも実はどーでもよいことであるし、たとえ全員が亜インテリであるにしても、ひとさまが亜インテリであると品定めするのもどーなんだろう。

 とりあえず、そういうことは気にせず、みんな好き勝手なことを言って、生きて、死んでいけばいいんじゃないだろうか。