忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

ごく個人的な

 ぼくが政治に関心がないというとき、いろいろな意味があるのだけれど、それついてのメモ。

 

 ぼくが関心のあることは政治では解決できないという思い込みがある。

 政治的に解決できることとそうではないものがあるというだけの話。後者に関心がある。というか、政治によって解決されちゃ困るようなことに関心がある。わざと話題を逸らすと歴史教科書の記述が変わったぐらいで教育内容が変わってもらっては困る。さらに言えば、歴史教科書の記述が変わったぐらいで人間が変わるわけないだろ、と強気でいきたいのけれど、どうなのざましょ?

 ぼくが暢気なのかも?でも、戦争を経験した昭和の世代だって、10代、20代、30代、40代、以下略、どの世代で戦争をくぐり抜けたかで、世の中が変わったというような感覚に対する認識は違ったんじゃないの?と思う。天皇陛下万歳が一夜にして戦後民主主義者に…みたいな変貌を遂げたというお話も、そして、そこに日本人の欺瞞を感じるのもある特定の世代に限定にされるのでは?そういうふうに見えた世代はいただろうけれど、それを一般化はできんでしょう。年長者の欺瞞を暴きたかったのは兵隊として戦った世代だったと思う。(どーでもいいことではあるが、ぼくは彼らの年長者に詰め寄った気持ちをとてもよくわかる気がするので、共感はしない。丸山眞男はなんだか、いろいろと気の毒なポジションにいたのかもしれない。兵隊としてぶん殴られ、新左翼に突き上げられ、かなりたってから、死後、ひっぱたきたいと言われ。まあ、よくわからん。あいにく、ぼくは丸山眞男が苦手だ。亜インテリ問題だけではなく、『後衛の位置から』という題をつけてしまうあたりが苦手なのだ。)

 政治が変わったくらいで社会ってそんなにほいほい変わるんだろうか?ぼくはそんなふうには思えないし、政治がある方向性を示したら、そちらに簡単に軌道修正する社会って脆弱すぎて、だめなんじゃないの?と思わんでもない。

 なので、自民党が変わったくらいで社会が変わるのかよ?と思う。冷笑といえば、そうなのかもだけれど、政権交代したくらいで、以下略。

 なにより、ぼくの心配など杞憂に終わるくらい日本社会の根幹は堅牢に思う。あまり言及したくはないが、無論、それは天皇制(皇室制度)ではない。というか、そういうものがある気がするだけで、それがなにかは知らん。

 

 それと政局報道にも関心がないというのはその通りで、その空気醸成ゲームに協力的な政治報道を普段、ぼくは軽蔑している。でも、政治は権力闘争だと思うので、ぼくのほうがおかしいという自覚はある。空気醸成して、政治への動員する、しないが肝心なのだろう。

 

 言い訳を考えるのは難しいものだ。

 

 

 読書履歴と思想の傾向。リベラルな本を読むとリベラルになるのか?そうなのかもしれないと思う。一方で、度々、リベラル論で登場いただいているエレンさんを例に挙げるなら、かれはリベラルな本を読んだから、リベラルになったわけではあるまいとも思う。たぶん、リベラルな本を読んで、リベラルに価値を見出すみたいな順序ではないからだろう。エレンはリベラルであることに価値を見出したのではなく、結果的にリベラルだったということか、どうか?

 いずれにせよ、リベラルな本を読んでいなくても、リベラルな人はこの世にいると思う。