忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

ずけずけ書いてしまうのは気がひけるが

 『ひぐらしのなく頃に卒』の最終回を見た。このシリーズ作品に初挑戦ということもあり、初見補正もあるのかもしれないが、おもしろかった。今になって気づいたのだけれど、『業』も見ておけば、もっと楽しめたのかもしれない。『卒』はシリーズ作品の後半、解答編という位置づけらしい。

 

 この作品についてぼくの理解できた範囲でいうと矛盾がおもしろかった。『卒』では主人公、北条沙都子古手梨花の関係性自体がはらむ矛盾。その矛盾が解消され、結末は別離に至るというところに違和感はない。ともかく、物語の中で構造的に生まれざるをえない矛盾っておもしろいなとあらためて思う。最近、考えてきたお話に無理やり、つなげると、繰り返し反復されるモチーフにはそもそも矛盾が胚胎してるのかもしれない、いや、しているのだろう。

 ただし、本作の結末では雛見沢症候群問題はそっくりそのまま残った気がするのだが、これはぼくの理解が間違っているのかもしれず、詳しいことはわからん。というか、この問題を解決することはだれにもできないんじゃ…という気がするのだが。

 

 本作では北条沙都子視点で物語が進んだが、過去作では他の人物の視点で語られたのだろう。この作品に出てくる人物はみな、それぞれに矛盾を抱えているように見える。竜宮レナにはとても関心がわいた。

 

 で、ここから先は書いてしまっていいのか、どうか。前原圭一は「よそ者」ということなのだろうか。これまた、書いていいのか、どうか、迷うが『のんのんびより』の一条蛍。「よそ者」らしい「よそ者」として描かれているわけではないし、特に違和感があるというわけでもないが、なんとなくひっかかるものがある。なんだろうな、これは。

 『ひぐらし』では舞台としてのムラ社会は強調されている。ムラ社会であることであることが物語上、重要な意味をもつ。『のんのんびより』はどうなんだろう?

 気にしすぎかも。ムラ社会に対する強烈な批評性みたいなものはないだろう。(例えば、都会は都会でムラ社会的であるというような…)

 

 声色が変わる演出。沙都子と梨花は自覚的にループしているため、他の登場人物と比べ、年増になっているということなのだろうか?よくっわからんけど、これもおもしろかった。