ぼくにはよくわからない
情報管理社会型権力と古典的権力
情報管理社会型権力も、古典的権力も、結局は大衆が権力の期待に沿う行動をとる?
デジタル・レーニン主義ということばもよくわからなかった。
まあ、なんだろ。「共同幻想」として考えたくなる。
デジタルということばがつくとなにか変わるのだろうか?
また、きらわれそうなことを書いてしまうと、『最後の親鸞』は政治運動をやめた学生を慰めるために書かれたものではないと思う。主題は宗教的信仰についてなので。前衛と後衛のお話には読めない。まあ、そう読み替えるのはその人の勝手とはおもうけど。
無知な大衆も、人文学の傲慢も、どっちも、そういう論を立てようと思えば、どちらもできはするんだろうけれど、よくわからない。というのは、そういう議論はどこへ行きつくのか?がわからない。
「非僧非俗」というものも、実はよくわからんけど…
ただ、どんなに頑張っても俗にはなれないと悟った親鸞(吉本)のことは想像できる。
話は変わるが、
今回の日本人のロシアへの反発。
プーチンさんの指摘がいちいち日本の痛いところを突いてきたからか。
夏アニメ メモ
『異世界おじさん』
イケボ。おじさんと甥。ゲームネタよくわからず。