忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

冬アニメ メモ

 寒い。散歩は楽しい。今日も散歩日和。

 

 『平家物語』は2周しようと思っていたけど、まだ、見れていない。

 

 『時光代理人』12話

 12話が最終回ではないよね…

 人間の描かれ方、特に、その不可解な側面がとても説得的に描写されていた。

 が、物語の大きな流れに着目すれば、作者の描きたかったことはそこではなかったのかも、というのが12話まで見た感想となる。例によって、ぼくが早とちりをしていたいえば、それまでのことである。それでは本作の主題はなにか?そこはよくわからない。

 

 12話時点でいえること。

 1話が重要だった。物語のつくられ方としては日本のアニメでいうなら、『攻殻機動隊』みたいだと思った。「笑い男」のストーリーがメインでありながら、それ以外の回も独立して、完結したものになっている。そのメインにあたるものがエマに関するストーリーである。『PSYCHO-PASS』も比較する例としては適していたかも。

 で、『攻殻』なら「笑い男」編、『サイコパス』なら槙島編がメインストーリーとしてあることで、それらの作品がなにを語りえたのか?

 そういう人たちを生み出す社会を語っていたのだと思う。そして、それはまるで今を生きるぼくらの社会を感じさせる。もしくは、そう遠くない未来の自分たちの社会。

 「笑い男」は社会から疎外された人間の倫理の象徴?

 槙島はあの社会の共同幻想の申し子というか、忌み子というか。解体者であり、救世主(仮)ゆえに、槙島が殺されるまでが描かれる。槙島のような人間が存在すること自体をあの社会は許容しないというお話だったように思う。

 『時光代理人』はどうなのだろう?そこがちょっとぼくにはよくわからない。ただ、中国社会はどこかで行き詰まるという感覚が作者にはありそう。日本のことならなんなく感覚的にわかることも、外国のことはよくわからない。

 

 ぼくはそういう社会批評性をあまり素直には楽しめないので、序盤のお話のほうが好きだった。って、しつこいけど、まだ最終回ではないよね?

 

 以下、脱線。

 狡噛に人気があったのはわかるけれど、常森朱のほうにぼくは関心があった。2期以降を見ていないので、そこは気になっている。常森はあの社会に対して違和感を持っていた。感情論ではないところで。感情論が劣るとは思わないが、結局、狡噛の方法では社会問題にはリーチしていない。とか、考えているとめんどくせーアニメだな、となり、みるのを延期して、今に至る。

 

 

 『響け!ユーフォニアム』13話というか、全話を通じてのメモ?

 13話は大会の様子が描かれており、物語の終着駅としてビシッと決まっていた。

 ウィキペディアを見て、驚いたこと。当初、コメディタッチでやる予定だったとは驚いた。それはそれで少し見たかった気もする。

 でも、その話を目にして、すこし理解が進んだ気がする。『ユーフォ』におけるサファイアちゃんと『リズ』の剣崎梨々花について。剣崎については物語上も重要な位置を占めていたが、シリアス路線において、彼女たちのような存在がいてよかった。

 もし、いなかったら?部活動の残酷なところというよりも権力の醜悪なところが描かれており、ひたすらそういう要素をぶつけられては見ているこっちもきつかっただろうと想像する。

 が、ただただ醜悪と切って捨てられるようなものではないから、おもしろいのだろう。

 部活動のお話に限定すれば、部活動ってくだらねーとおもしれーは共存する。そこがとてもおもしろかったのだ。で、このおもしれーとくだらねーの往復運動は部活動を離れても、ほぼ毎日繰り返される日常そのものだ。

 権力の問題は面倒になってきたので、書くのは止めた。とりあえず、この点に着目すれば、主役は滝先生だ。

 うーん。でも、これだけは書いておこう。滝先生の言動、とりわけ、生徒に選択をせまり、それに生徒たちが呼応することが部活動の原動力になっていることへの違和感はある。なので、シリアス路線だからこそ、みいってしまったと言えるかもしれえない。

 

 あと、見れていないのは『佐々木と宮野』、『この着せ替え人形は恋をする』。

 このところ、早寝をしているので、アニメがみれないだけじゃなく、買ってきた本とかぜんぜん読めん。本棚に飾って、拝んでいる。ということでもない。