忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

なにかを忘れていると思った

 『時光代理人』と『その着せ替え人形は恋をする』を見るのを忘れていた。

 とりあえず、『時光代理人』の10話のほうから見た。10話で仕掛けを作り、その後、炸裂させる流れなのだろう。凝った作りである。結末まで見ないとわからないけれど、トキがなぜあの時、あんなことをしてしまったんだという後悔に苛まれる展開に今のところはなっているため、主題は…

 咄嗟にとってしまう人間の行動の不可解さということでいいのだろうか…

 トキが依頼人に乗り移る設定との整合性は?

 こういうややこしいところは誰かにお任せしよう。

 それと現代中国社会に対する通俗的な批評性はあると思った。誤読でなければ、お金儲けが大好きなゲーム会社とか、格差とか、社会の抱える歪さはわかりすく描かれている。では、その歪さが犯罪の温床であるのか?とまでは言っていないようにも思える。よくわからん。

 話をおもくそ(死語)脱線させると、日本のゲーム会社もお金を儲けているなら、もっとアニメにお金を使ってくれないだろうか?みたいな。よく知らんけれど、もうすでにたくさんつかわれているのだろうか?『プリンセスコネクト』のアニメとか結局、見てないけどおもしろい?『グラブル』のアニメは少し見たけど、ふつうのアニメというか、なんというか、特別おもしろいわけでも、つまらないわけでもなく、なんとなく脱落しちゃった。『このすば』みたいなのを期待していたけど、違った。『SAO』でもない。『ウマ娘』は見てない。

 『アズールレーン』も見ていないけれど、これは中国のゲームが原作か?

 ゲームについてはよくわからんので、脱線しないほうがよかったか。

 結局、ゲームが本体なら、アニメは完結したお話にならないよね…と。不満というわけではないが、時間の制約からゲームまではできないしな…と。まあ、ぼくは対象年齢ではないということよね…

 

 『響け!ユーフォニアム』11話

 録画を見たら、日本地図が出ていた。録画なんで気にしていなかったが、『平家物語』よりも遅い時間に他局でやっていたのか。

 先日、『リズと青い鳥』を芸術論、そからに信仰問題へと飛躍させる話を書いたけど、この話はとりあえず中断。

 その前に『ユーフォ』の斎藤葵の挙手と中世古香織の挙手の違いの話から整理する。

 こうれは今日、録画を見て唐突にビビッときましたね。

 斎藤葵の挙手は茶番を茶番とはいえない状況でなされた挙手であり、中世古香織の挙手にはその種の茶番要素はない。もうちょっと整理できんかのう。

 ひとまず、そう考えてみる。

 しかし、編集版でなく、ちゃんと11話を見るとあらためてすごい作品だなと思った。部活動の残酷さと書くと、なんか部活動がすごく悪いものに見えなくもないけど、実際はそう悪いものはない。まあ、ぼくはどうにもこの点に関しては口ごもってしまう。ゆーこちゃんの涙はあれはなんだ?先週、ゆーこちゃんをうざいとか、書いてしまって、反省はしないものの、残念なことにゆーこちゃん同様にぼくも悲しくなった。

 部活って下らねーと部活っておもしれーはどうバランスしてるんだろうな。部活の記憶が薄れ、忘れちまったな。

 それともうひとつ。音楽するのが好きと音楽するのがうまいの問題。山田五郎さんの芸術論でおもしろいと思ったのは、そこで、天才は天然に勝てないというお話だったか。高坂麗奈は天然で、かつ、天才ということになるのだろう。

 高坂麗奈は己の中にある天然が天才を打ち負かすという状況におかれることになるのか。書いていて、混乱してきた。ほったらかす。

 しかし、この作品は音楽が好きが出発点というところはすでに提示している。名前はしらんが、久美子の担任の先生がそんな話をしていた。と書いたけど、ちがう。ふたつの間を振り子のように揺れている作品なのだろう。

 それとやっぱり、これは書き残しておこう。滝先生はやっぱり問うのだ。とにかく、問い、生徒に自発的選択らしきものを促す。「あなたがソロを吹きますか?」じゃねーよ、と視聴者がつっこみをいれるくらいは許されるだろう。茶番をガチでやる滝先生、素敵です。(半分嫌味)嫌われ役をかってでる人に対する尊敬はある。でも、そういう役を必要とする組織というか、権力は根本的なところで間違っているんじゃないのか?という感覚はぼくの中では消えない。

 青春のひとこまとして過去に置き忘れたことしよう。って、だれかがまた目の前にもってくるんだよな。繰り返されるんだ。

 嫌味ついでに、田中あすかはやっぱりくそがき(こども)だと思う。おとなぶったくそがき。対して中川夏紀はおとなだと思う。部活動もおとなとこどもによって組織されているのか。このへんは『メイドラ』にもある感触。こどもがこどもであるためにはおとなを必要とし、逆もまた…

 ひとりの人間がこどもからおとなへと変わる成長物語とは違う描かれ方。まあ、この視点から見たら、『ユーフォ』1期は滝先生の成長物語なのか?わからん。

 2期も見てみようと思う。ただし、テレビで再放送されないなら、配信サイトか。ネトフリにあるのだろうか…

 

 『リズと青い鳥』のえっちーなところというか、美点について

 先日、書いたのにもう気が変わった。

 やっぱり、美点は希美がわざとみぞれとの出会いの記憶を忘れたことにしたところだ。それを知っているのは希美だけ。忘れたふりをしたのだから、そうなる。しいて言うなら、視聴者も知っていることになるが、だが、しかし、それこそ視聴者の死(読者の死)と叫びたくなる。視聴者が知っていようが、いまいが、むしろ、視聴者が知らないほうが、よりその美しさは際立つ。いらないんだ、視聴者なんて、と視聴者であるぼくがいうのは問題ないのか、どうかは知らん。

 で、思い返してみると、作品の美点というものはだいたい、そういうことになっているじゃないの?と。ものすごく時間のある時にあれこれ、見直してみたいと最近、思っている。『あだしま』についてはもうその話はくりかえさない。

 性の問題か。他者が必要なので。