忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

冬アニメ メモなど

 このところ、いつにもましてアニメをぼけーと眺めている。

 見直したいアニメもいくつかある。

 

 『時光代理人』9話

 ぼくはこの作品を人の記憶にまつわる物語と思っていて、とくに、あの時なぜああしなかったとか、なぜこうしてしまったとかいう人間の行動の不可解さを描いていると考えていたけれど、それだけではないのかもしれない。

 つまり、もっと現代中国社会に対する鋭い批評性も本作ではありそう。何の脈絡もない連続殺人事件をどう見るのか?という問題だ。もっと自分が中国社会に対する理解があれば、違う楽しみ方?というとそこまで楽しくて愉快なお話ではないけれど、ともかく、違う理解の仕方もできたかも。

 現代中国ではこの種の連続殺人事件がいかにもおきそうなことであるという感覚が作者にあるのか、どうか。そこは気になる。

 映画『ジョーカー』もけっこう日本でも話題になっていたような気もする。

 要は、この種の犯罪者の背景を描くのか、どうかでそこの判断はつくような。

 見ていないけれど、黒沢清の『CURE』とか、調べたら、1997だったようだ。

 とはいえ、前にも書いたし、しつこいようだが、極力、作品にある社会批評性はばっさり捨象してみるので、あれこれ、この点について、『時光代理人』で言及する予定もない。ずばり社会批評性そのものが作品の本質であるとぼくが思えたなら、その限りではないが…

 

 『進撃の巨人

 漫画→アニメの順でなぞるように見ているが、けっこう誤解していたかも。人間ドラマとして理解したいという自分の願望丸出しの理解であったのかもだ。

 

 『響け!ユーフォニアム』10話

 ゆーこちゃん(吉川優子)はうぜー(死語)とか思ったけれど、同じようにうざい(死語)田中あすかも数話見ていくうちに慣れたし、そのうち慣れるかと楽観視していた。ところが、もう10話じゃんと10話を見終わって気付く。

 高坂麗奈も相変わらず苦手なキャラだ。なんかいつも不機嫌そう。ラブのほうの「好き」じゃねーよ。そんなの年上のおにーさんに対する憧憬だよと真顔でツッコミをいれかけたが、我慢した。まあ、久美子とのやりとりは久美子の性格の悪さが感じられ、見ていて安心する。

 中川夏紀は…ぼくには「推し」という感覚はないので、あれだが、こういう人を尊敬する。こういう人は実際いる。感動する。推しはしない。それでも、『リズと青い鳥』の中川夏紀のほうがさらに好きかも。なんだろう。周囲の人間に比べ、断然におとなである。無論、田中あすかよりもおとなである。

 とめずらしくキャラについてあれこれ書いた。とくに理由はない。

 お話の流れとしては部活の残酷さであり、芸術の、より限定すれば、音楽の残酷さを中世古を通して描いていく展開で、個人的な好みでは斎藤葵のお話のほうに関心がある。つーか、この先の展開はyoutubeの編集版で以前に『リズと青い鳥』の予習として見てしまったのだ。

 今回、葵先輩のお話は初見だったので、滝先生の最低で、最高な別の側面を知ることができた。滝先生への焦点化は間違いだな。組織のはらむ権力性の問題だ。まあ、いやーなお話だ。それでも、こういうお話を作品に主題に据えられる、その可能性を見た思いがする。いわゆる「社会批評性」とは違う批評性。で、ぼくにとってはこういう問題のほうがアクチュアルである。

 

 『明日ちゃんのセーラー服』9話

 おもしろかった。

 探し物は楽しい。しかし、そもそも紛失しないにこしたことはない。

 だれかがなくしたものをみんなで探すお話とか見ていると楽しい。

 ところで、明日ちゃんはもう朗読はしないのか。小説の登場人物になり切って、読む感じ、嫌いじゃないぜ。小学校?中学校?どっちか、忘れたけれど、朗読が妙にうまい人がいたな。

 

 『平家物語』9話

 びわの母が出てきた。視聴者の目を兼ねる以上の役割がはっきりとした回だった。

 口承文学。耳で聞く物語。今はそこに加え、動く映像も付けられる。リズムに着目しても、音だけではなく、映像にもそれがある。また、作り手側のリズムだけではなく、実際の作品の鑑賞では受け手の側にもリズムがあり、そこは中世にも共通するか。

 ああ、そういえば、9話に月が出てきた。先日、日記で途中で書くのをやめてしまった話題。とくに文学における月の意味を考えていたわけではない。

 月に関して

 ①短歌にもよくでてくるが、月はどこから(日本のどこからでも)でも同じものが見えているという感覚か。ただ、びわは未来視ができるから、おひさまの下で清経の死を見ていたが…

 ②昔は夜に電燈が光源ということもないだろうし、娯楽もないから、夜に月を楽しむということなのだろう。今でも、月を眺めるのは楽しいと思う。

 

 ふと気になったけれど、月が光を発する恒星ではないことはいつごろから人類は気づいていたのだろう。まあ、太陽は直視できないのに、月はそれができるから、なんとなく気づいてはいたのだろう。肌を刺す光の強さ、体感温度でもわかるか…