忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

メモ

 冷やし焼き芋なるものを買ってきた。前にも食べたか、どうか、覚えていないので買ってきた。夜中に食べるのは我慢して、明日に楽しみをとっておこう。

 

 さっきのお話の続き

 『時光代理人』について

 分岐点の誤認という理解がいいのかもしれない。

 避けられない、自分ではどうすることもできない事態というものはある。自然災害や戦争が人の人生を変えてしまう。

 一方で、あの時ああしておけば、こうしておけばという思いは過去を回顧する過程、つまり、記憶の再構成の中で生まれる。先述の避けられない事態とは異なり、自分でどうにかすることができたかもしれない後悔となる。

 本作はそこからもう一歩先をやっているような印象を受ける。あの時ああしていても、こうしていても、同じ今(結果)は変わらなかった。さらには、自然災害がなくても、3・4・5話の依頼人は高校生の時に告白した女性ではなく、別の女性と結婚して、子を育てる。どう表現すればいいかはわからないけど、そうした思いが起点としてあるような気がする。諦観とも違うし、達観とも違うし、なんだろう。

 ということで、後悔の念を惹起するあの時は実は人生を左右する分岐点ではない。ではなにか?と聞かれるとぼくにもわからん。人間が咄嗟にとってしまう/とってしまわないは実に不可解な代物としか言いようがない。

 ちょっと強引な解釈だったかもしれない。「人はなぜ生きるのか」というような問いにぼくは魅かれない。「人はなぜか生きている」という言明にはすこし魅かれる。そういう性分なのだから、仕方ない。後者は文学の領域でもある、と思う。(「きみたちはどう生きるのか」に対比するなら、「ぼくはどういうわけかを知らないけど、生きている」になるだろうか。)

 

 本作のぼくの守備範囲外の話

 社会批評性。現代中国が描かれているのか?「格差」は描かれていると思う。

 もうすこしぼくにが興味をもてる側面としては「家族」。キャプテンの家の母親の描き方とか。依頼人の母親もか…なんつーか、きついものがあるな。陰でコソコソ自分(母親)を捨てた父親と連絡を取っているのか?と子に質す場面とか、ちときつい。

 アジア的な描写なのだろうか。わからん。

 

 よくわからんけど、この作品はどうにかして「なぜか人は生きている」を描こうとしているところがぼくは好きなのかも、と勝手に思っている。

 

 もう、遅いので、『ユーフォ』5話の感想はひとことですまそう。とてもおもしろかった。部活動のいい側面が描かれている。田中あすかの鬱陶しい感じには慣れてきた。こういうおしつけがましい何かをぐいぐい押しつけてくる感じの人は嫌いではないが、この先輩は純粋なるバカではないのだろう。こういう人は確かにいる。話がそれた。寝る。