忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

喉まででかかる→

 オウムとエレンの違いより似ているところのほうがややこしいと思う。以前にもこの日記でこのふたつの関係性に中途半端に触れて、ほったらかしていた。

 違いを指摘することは心理的抵抗があまりないというか、なんというか…たとえば、オウムは自分たちの行いの正当性を疑っていないのに対し、エレンは未来視で地ならしの結果を知ることによって自らの行いの非を認めているはずだ、とか。言い方はいろいろあるように思う。

 似ているというか、ぼくが気になっているのは、麻原にも、エレンにも目の前にはただ一本の道しかなかった、とぼくからは見える点。だれになんと言われようと不可避なものとしてテロ、地ならしはあったのではないか。また、彼らがだれかからの理解をえたいと思っていたかも、あやしい。そんなバカなことがあってたまるか、他に選択肢はいくらでもあっただろう、という反応は当然かもしれないが、そう言い切ることはぼくにはできない。で、ごにょごにょとごまかしたくなる。