忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

メモ

 今日、あまり重大ではないことに気づく。

 いつからなのか?そこははっきりしないものの、ぼくはこのところずーっと時計回りで散歩をしていた気がする。もとからはお決まりのルートはないが、その時計回りについては保守化していたのだ。じぇいりべらるとしては由々しき事態である。そこで、さっきは反時計回りで散歩してみた。いつもの景色が違って見えた、とか書いてみたかったが、そうでもなかった。おわり。散歩ではない時にそっち向きからの景色も見ているからだな。

 

 時間と私に関する問題について、さっきの散歩で気づいた。ぼくの理解が混乱していたのは、時間についても、ぼくの場合、「時間について考える私」について考えていたからもしれない。たぶん、ぼくは永井さんがいうところの「私秘性」というものにかなり引きずられている。しかし、これはしかたないような気もする。文学観というか、なんというか。作者の書いたものを自分だけはわかっているぞと勘違いするのが文学だ、とぼくは思っているので。文学において数多(あまた)いる読者の中でなぜかぼくだけがというのは、おそらく「私秘性」なのでは、と思ったのだった。ある小説を読んだときに「独在性」的理解というものがあるとして、それは何を指すのか?うむ、わからん。

 

 『進撃の巨人』も見たし、寝る。

 「おもしれー女」ってなんだったっけ?と思ったら、『女子高生の無駄づかい』だったようだ。ぼくがいう、というよりも紙越空魚のいう「変な女」は似ているようで、すこし違うか。「変な女」はテンプレ化不能のような。『スローループ』は「おもしれー女」かも。この作品は『女子無駄』と同じように3人組。