忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

気になることに関するメモ

 アニメ『Sonny Boy』

 いかにも考察が盛り上がってそうな感じがする作品。

 細かい考察については面倒なので、サボらせてもらって、ひとつだけ気になっていることがある。それはあの世界をだれが作ったのか?

 長良なのか?希なのか?瑞穂なのか?それともあの学校の生徒たちの共同幻想なのか?

 そこがわかれば、なんの話であったかが見えるのではないか。

 『ビューティフルドリーマー』と比較する考察とかあるのだろうか。半分同意って感じか。流れない時間に対する批評性みたいなものは『Sonny Boy』にはないと思うけれど、あの世界をつくったのが希、もしくは、瑞穂であるなら、作者の女性に対する畏怖が無意識に作品に出ている可能性は考えられる。まあ、結局、あの世界の誕生の秘密が明かされないことにはなにも言えない。

 

 メンタリストさんの発言について

 発言の内容自体についてはぼくはなにも感想はない。しいて言うなら、炎上が狙いであるなら、そういう人たちは発言の内容自体はなんでもかまわないという感じではないのか。たとえば、林房雄の『大東亜戦争肯定論』とは全然、別物だと思う。林房雄にはそれを書く必然性があった。炎上を狙う場合にはそのような必然性はいらないのではないか。

 このことに関連するツイッターに参考になる洞察があり、気になったことがふたつほどあった。

 ①だれかをコントロールしたい欲望、それができるという思い上がり

 今回の件では彼の発言に反応してしまった人たちの中にはまさに彼の読み通りのものがあったというのは事実だろう。でも、ぼくにはよくわからん。

 ぼくはそのような幻想を犬を飼うことで見事に打ち砕かれた。ちゃんとしつけをしなかった自分の責任と言えばその通りなのだが、犬のうんちのお掃除をしていると、別のところにおしっこするみたいな期待に反する行動の連続、こっちが眠いのに夜中2時過ぎになると毎晩起こされる日が数日続くとか。

 それでわかったのはこの部分は人間も犬も基本同じだろうということ。ことばが通じることでなにか、勘違いをしそうになるが、コントロールなんかできるわけがない。どーでもいい話をつけくわえると、ぼくは犬とのコミュニケーションは目に頼っていたと思う。結局のところはよくわからんのだけれど、彼にじっと見つめられると感じると、こちらも見つめ返す以外になにもしようがないというか、なんというか。なので、彼に関する短歌をよむと、目に関するものが結果的に多くなっているではないだろうか。

 それでも、だれかを支配したいみたいな欲望は消えることがなさそうな気もする。

 

 ②欺瞞を暴く

 今回の件に限らず、炎上にある特徴のひとつ。だれかの欺瞞を暴く。ツイッターで見かけた意見の中でもっともぼくに刺さったのはこの意見だった。そこで欺瞞を暴かれたのはだれか?他ならぬぼく自身ということ。

 多分、炎上系の人に役割を担わせてしまっているのはぼく自身なんだろう。この件に限らず、自覚ない差別意識みたいなものを暴かれて、不快になっているのはぼくのほうなのだ。

 それと欺瞞を暴きたいという人の欲望もまあ、なんとなくわかる。物心がつき、それなりに社会で過ごすと世の中はありとあらゆる欺瞞であふれている。学校、家庭、会社。ぼくなんかは家族の欺瞞なんか大嫌いだしな。家族が嫌いという意味ではない。いち例を挙げるなら、家族の絆的なものの過大評価(内と外を分ける思考)は実際には家族外への無関心を生んだりする。それに血の論理がからむと…こういうのはちょっとぼくには耐えがたいものがある。

 欺瞞を暴くことの意味とはなんだろう。

 話は飛ぶが、ネットで「リベラル」が当てこすりされるのもこれがためだろう。きれいごとばかりいっている人の欺瞞は暴きやすい。本音主義のほうが正直者に見える。あくまでも、見えるだけの話だが。

 

 今回の件にしても、発言の内容と同じくらいややこしい別の問題があると思う。

 

 スポーツもフィクションである

 開会式はちょっと見たが、閉会式は見ていない。

 それらふたつと違って、競技はフィクションではない?

 つまり、スポーツはフィクションではない?

 ぼくは自分の経験からいっても、スポーツはフィクションだと思う。

 100M走とかフィクションだ。ぼくにとって一番自然な走りは急いでいるとき。例えば、遅刻しそうなとき。

 コンタクトスポーツだってそう。役割として人とガツンガツンぶつかる。