忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

昨日の続きとか

 『スーパーカブ』の小熊について

 「生まれがいい」とか「育ちがいい」、これらのことばがぼくは苦手で、そういうことばを日常生活でつかうひとがいたら、そのひととは距離をとってしまうが、小熊さんは「育ちがいい」としかいいようがない気がする。

 

 

 『おおかみこどもの雨と雪』について

 昨日は肝心なところを書き洩らした。

 視聴感覚としては『おしん』に近い。まあ、この間、NHKで再放送しているのをたまたま見たから、思っただけかも?(実は『おしん』は初見でした。)

 「女手ひとつ」でという設定しか共通してないといえば、そうだが。

 

 この物語の理解について

 禁忌を冒したのは花と草平なのかも?

 おおかみにんげん?でいいのかな。その正体を見た。それが禁忌なのかも?

 罰として、花は夫を失い、草平は母を失う。

 花は女から母へ。草平は少年から大人へ。

 「成熟と喪失」的理解。あまり好きな理解の仕方ではないな。

 これもおかしな理解か。というのは、もし禁忌を冒したのが花や草太なのだとしたら、禁忌がかれらの成熟の契機という理解になる。っんな馬鹿なって個人的には思う。

 

 禁忌を冒したのが父と雪だとすると、上記のようにすっきりとはいかないけれど、昨日書いたように、作品世界の転換という補助線を無理やり引けば、なんだかわかったような気にはなれそう。

 

 まあ、でもこの作品で重要なのはそこではないのだろう。『おしん』を見るような目で見ればいいのではないかと思う。細田監督の母世代は『おしん』を見ていたのかも?監督が世界中の母に捧げた映画という理解がいいのではないだろうか。

 

 再び、文章化を放棄する日々に戻りつつある。後で読み返したとき、だいたい意味不明で、自分でもこまるんだよな…