忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

メモ

 今期のアニメを昨日、今日で少しだけ見た。

 

 『美少年探偵団』

 各話ごとのお話の内容の分析とかはしていない。やったら、きっとおもしろいだろうとは思う。

 おもしろかった。続きが気になるという意味で微妙な終わり方だった。「少年」であることの意味は第1話で遊びは14歳までみたいなセリフで示されていた通り、「大人」との対比という理解でよさそう。この点は予想通りで、ぼくの嫌いな展開だ。嫌い≠つまらない。

 「こども」と「大人」の対比がなぜ苦手なのか?「こども」観自体が大人の錯覚に見えるからだ。それにくわえ…お茶を濁そう。最近の世相なんかをみても、あるいは自分を見ても「こども」と「大人」を分かつ線、それはどこにあるんだろう?ますます、わからなくなってきている。

 ただ、この作品に対する関心は持続しそう。「こども」と「大人」という対比ではなく、社会のオモテとウラとして考えてみたい。

 

 この作品に限らず、なぜ学校が舞台になるのか?中年のノスタルジーからうまれる、かつてそうであるはずだった青春、そうであるべきだった青春のやり直しなのか?その側面は否定しない。むしろ、そこがテーマの作品で、おもしろいものもたくさんあるだろう。

 でも、最近、もうひとつの可能性について考えている。おおくの人がある日突然、自らの意志とは関係なく、放り込まれ、社会を知る場所、そこが学校だ。わけも分からず、7歳になると毎日通うことなる。そして、社会のオモテとウラを知りたくなくても知るようになる。そんな場所はきっとドラマの宝庫なのだ。だから、学校が舞台になるのではないか?

 

 沃野禁止郎は社会のウラの存在みたいな見方はできないかな、と。

 「続」ってなっていたし、その点に着目して2期を見てみたい。いつやるのだろ?

 

 Vivy-Flourite Eye's Song-

 おもしろかった。

 最終回を2回ほど見直したけれど、やっぱりよくわからない。

 ツイッター等で見た感想で見つけた主人公はマツモト説に納得。最終回のマツモトはスバルに見えた。説教くさい感じが。

 そうすると松本博士は?

 

 『スーパーカブ

 最終回まで見た。綺麗に終わっているように見えた。

 小熊さんは実践的な人なのかも。

 誰もいない家に向かって「いってきます」はいいな。原作でもそういう描写になっているのだろうか。ぼくはこういう場面も好き。

  「育ちがいい」、このことば遣いは好きではないが、小熊さんは間違いなく、育ちがいい。

 

 『蜘蛛ですが、なにか?

 げらげら笑いながら見てますが、たまに真顔になります。

 最終回まで見てない。これも2期があるのか?気になる。

 

 2021で今のところ一番印象に残っている作品は『裏世界ピクニック』