今期アニメのメモ
8話を終えて
二人組の整理
冴木とグレイス
人間とAI
自殺したのは人間
恋愛関係
オフィーリアとアントニオ
AIとAI
自殺したのはAI、またどちらの意志で自殺したかも不明
関係性はよくわからず、仕事上のパートナー以上のものをどちらかが求めていたのなら?
あの世界ではAIとAIは結婚できるのか?
ヴィヴィとマツモト
AIとAI
自殺はしない
関係性不明、仕事上のパートナー
垣谷とピアノの先生
人間とAI
先生は人間を救うために事故死、利他的ゆえに死んだ。
弟子と師匠?
AIというのはこの作品では何かの比喩として見るほうがいいのか?それともAIはAIとしての「存在倫理」があるのか?
押井守監督作品『イノセンス』に連なる系譜ではなのか、どうか。人間よりもAI、ロボット、人形のほうがまともなんじゃないの?みたいな感じの作品なのか。トグサを例外として、素子、バトーなんかはあちら側の住人。最近のは見ていないので知らないが、ちょっと最近の作品群も見てみようかな。脱線。
『イノセンス』はつまるところ、ロボットのほうが人間よりましという見方を提示することであらためて人間とは何か?を問いかけてくる。好きな作品ではあるものの、悪い意味で説教くさい作品でもある、とぼくは見ている。
押井作品のロボットは理想の人間像の比喩という理解。タチコマが好きなひとが多いのは不思議な話ではないのだ。ペットというか、動物が好きというのもそれに近いものがあるかもしれない。日常の生活を営む人間にまとわりつく嘘くささに対する疑義が背景としてある?
ヴィヴィの物語は最後まで見てみないと結論は出ないけれど、どうなのだろう。という意味で視聴をつづける。まあ、おもしろいからみているといえば、それまでの話ではある。
歌い手の初歩の話
歌い手自身がまず楽しむみたいなことかな?ますます、人間とAIのどこに違いがあるのか、わからんな。
『ダイナゼノン』は謎が多い。
怪獣の出てくるあの世界はなに?怪獣とは?
ガウマの探している女性。
姉の死。
正体不明の生きづらさみたいなものを抱える登場人物たち。特に男ふたり。
未だになんの話なのかはよくわからん。
青春のもやもやを、青春のロスタイムのもやもやを描こうとしている感じなのか?夕方の6時にこういう作品があってもよい気がするけれど、青春の真っただ中のひとはあまりその時間に家にはいないか。
最後まで見るとなにかしらわかるか。ただ、『グリッドマン』みたいなオチで終わらせるのは勘弁してほしいな。人類を滅ぼすみたいなことを白い服のひとが言っていたからその心配は無用か。電脳世界なら人類もへったくれもありゃしない。
まあ、整理してみようと思い、メモった。
最近思っていること。アニメに限らず、何の話なのか?をまずは考えるみたいなことを当たり前のようにやっていた気がするが、そうした作品の接し方を当然と考えるのも実はそれほど当然ではないのかも?と。ボケーと見てて楽しい。で、しばらくしたらすっかりわすれるみたいな楽しみ方ってのもあるよな、と今更ながらに感じる。
ツイッターを見て気づいたこと。
同性愛を描く作品のほうが異性愛のそれよりも本質的なものにぼくには見える。なぜそう見えるのか?好きになった人がたまたま同性だったという作品群を見ていたからだと、とあるツイートを見て気づく。それらの作中での恋愛の当事者からすれば、同性愛である事実は後からついてくるのだ。なるほど、そうかもしれないと思った。たしかにぼくの場合、同性愛になる可能性もあったのに、先験的にそうしなかっただけかもしれない。なんだか、すこし自分のことがわかってきたぜって感じだ。これといった確たる理由もなく捨て去られた可能性の残滓をぼくは『安達としまむら』や『やがて君になる』に見出していたのかも。きっとぼくの経験の大事なところに同性愛になりうるものがあったのだろう。