2021春アニメ
『スライムを倒して300年、知らないうちにレベルMAXになっていました』
主人公を男性から女性に変えるとハーレムものから家族ものになるのか、ふむふむ。
この作品も前世の記憶ないしは現実世界を参照している。異世界転生ものはそこがまず基点にあって話が展開されていく。多くの場合、異世界ものの主人公たちにとって前世や現実世界を生きるとは理不尽に耐える感覚なのだろうか?というか、現代をいきる日本人の精神の基底にどこか生きること自体が理不尽やら面倒事にたえる感覚が潜んでいるようにも見える。自分自身が世界をそんな感じに見る傾向があため、ぼくはこういうものの見方は好きにはなれないが、だが、しかし、そう仮定して差し支えないと思える程度にこの手の作品群の存在感は大きい。また、ぼくもそれらを見て、楽しんでいる。そして、さっき日本人とかテキトーに書いてしまったが世界中で異世界転生アニメが見られているのにも関係しているだろう。人民解放軍が『リゼロ』を見ている写真はなかなかにどうして…それはともかく、ぼくはその写真をみて、感動した。なんだかうれしかった。内容的に放送禁止みたいな事態にならないといいのだが、どうなのだろう?
『Vivy-Flourite Eye's Song-』第5話、第6話
これらの2話は非常に構図としては分かりやすい。共同幻想と対幻想が対立する話。アニメでいえば『まどマギ』の劇場版や『シュタインズ・ゲート』と同じ構造をもつ物語。つくろうと思えば12話分を費やせるテーマであるものを2話分でやったということはこの作品の主題ではないということか?まだ、人類とAIの対立の原因などが明かされていないため、断言はできないが。
しかし、もうすこし仔細に考えてみる余地はあるだろうか?この作品における対幻想は人間とAIなので、そこになにがしかの異化を認める可能性は?まあ、よくわからん。
グレイスの歌を「歌ではない」と言い切ったヴィヴィ。お話の展開としては後戻りできない切断線がひかれたように見えた。その意味をすこし検討してみよう。
・AIを滅ぼすAIヴィヴィの誕生?歌で人間を幸せにする使命は上書きされたのか?
その前に「歌ではない」ということばを検討すればよかった。
ヴィヴィの発したこのことば。だれにとってそれは歌ではないのか?人類?ヴィヴィ?
冴木にとっては歌であったはずで、ヴィヴィには歌には聞こえないという意味で受け取ったが、まあ、よくわからない。で、ヴィヴィには歌として認識されないというのは人類を救う、具体的には元気づけるみたいなことは今のグレイスにはできないということか?
ぼくの個人的な趣味を言えば、冴木の感覚のほうが好きだ。ヴィヴィのいう人類はあまりにも不特定多数で広範囲すぎて、嘘くさい。嘘くさいというか、ヴィヴィのようなひとを揶揄する意図はなく、そんなひと?AI?を見ていると悲しくなってくる。冴木にとってはやっぱ歌なんだよ。それが永遠に失われた。共同幻想と対幻想が対立する話は面白いな。
今後の展開
冴木の自殺を目の当たりにして、共同幻想の申し子、利他性の権化みたいな感じのヴィヴィに変化はあるのか?ないとぼくは思う。切断線がひかれたと見ているので。
最終話を見た後に主人公がAIであったことの意味が諒解できるといいな。いまのところはよくわからんので。
『86』
ボーイミーツガールだったのか。
「黒羊」というものが今後の展開で重要な感じ?
死者の声が聞こえるという設定は面白い。ホラーっぽい雰囲気にしているため、おどろおどろしい感じになっているが、死者の声に耳を傾ける行為はそういう雰囲気をばっさり切り離して考えてみてもいいのかもしれない。
この作品もいまのところなんの話をしているのかはよくわからない。
前半をほぼ丸々見逃しているのだが、意外と面白いな。
話はよくわからんけれど、これも見てる。だって、面白いし。
総評
ほんとうに見ていてつまらないアニメってものが自分の中ではなくなったな。
以前なら『86』、『Vivy-Flourite Eye's Songs-』とか視聴を続けなかった。