メモ
アニメのメモ
元の世界がそこまで重要ではないのか?聖女の条件がそこに関係あるのか?同時にもうひとりの異世界に転生したひとは何者なのか。いまのところは主人公と一緒にイケメンパラダイスをたのしめばいいのか。というのは冗談にしても、異世界のまだ見えていない側面なんかを予想しながら見ればいいのか?あの異世界にはまだ明かされていない暗部がある感じがするのだが、どうなのだろうね。
『Vivy-Flourite Eye's Song-』
7話は全然予想しない展開だった。冴木の自殺とオフィーリアの結末次第つまり自殺するのか、しないのかで、ヴィヴィの今後の在り方の方向性が決まるのか。とすれば、6話が転換点、後戻りできない切断線がひかれたと見たのは早計だった。
『SSSS.DYNAZENON』
登場人物、それぞれに謎がある。姉の死に関する謎、もしそれが自殺なのだとすれば、この世界はグリッドマンと違って架空の世界ではないということか?まあ、このへんは大雑把に見るか。ただ、なんだろう。作風から言って前を向いて終わる感じに帰結するのだろうから、自殺ではないのではないだろう。うむ、視聴を継続するか、どうか。
同じ屋根の下に住んでいるのに姉のことをちっともわかっていなかったみたいな設定はよーくわかる気がするが、そのこと自体がこの作品の中できっちり消化される主題であるのか?これもよくわからん。
今期は今のところ見ている作品はどれも面白い。面白すぎて、時間が足りずかなりいい加減にみているくらいだ。
異世界ものを近頃たくさんアニメで見ていたので、というわけでもないが、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を読み返しているが、聖書を異世界ものとして読むのをツイッターでおすすめされていたので、そうのように読んでみようか。その前に『失われた時を求めて』も読みたい。時間が足りないな。いや時間はたくさんあるか。
レトリックについて
度々、これは考えることがある。
比喩編
「特高顔」ということばもいつだったか。話題になっていた。例えば、このことばの場合、ぼくは筆者の込めた意味合いみたいなものは無視して解釈した。具体的には「平均的な日本人の顔」と解し、菅首相もぼくもその意味では同じく「特高顔」であると。特別高等警察に関する戦後の語られ方でも、ごく普通のひとがなぜあのような…という視点は外せないはずだ。みんな潜在的にはそのようにふるまう可能性はあるのだ。もっとも、比喩としてはつまらないものだ。まあ、でもこのことばをつかったひとの本を昔、読んだことがあるが、けっこうおもしろかった記憶。
「こどもを動員」これは最近見た言葉。五輪にこどもが動員されると。コロナ禍では戦争のアナロジーが多用された。政治家もよくこのようなことば遣いをするし、メディアや言論人も。あと出版社の広告でもそういうのを見かけた。その広告はつまらないものに見えた。ただ、ぼくがつまらないと感じるだけのことかもしれない。本質をとらえている可能性もある?ないな。
「さざ波」というのも比喩だ。だれが話したのか、そこを捨象して見たら、世間の受け取り方は変わっただろうか?フーコーの「だれが言ってもかまわないではないか」ということば、今でも有効に思える。ツイッターではどうもあらかじめ党派性によって文意をとる前に受け手の反応が決まっているように見える。もっとも、例のツイートは全体として文意をとる必要はある。(「笑笑」のところは意味がとれないのでぼくは無視した。居酒屋をさしていたわけではないことだけはわかる。)
小林秀雄はポーの「鐘楼の悪魔」は比喩ではない、とたしか指摘した。ふむ。
レトリックにたよらない。ぼくもそこは気を付けよう。いやいや。これではテキトーなまとめ方だ。レトリックというか、格好つけた文章、ことば、そこにはそのひとがあらわれる。これは無視できんだろう。例えば、比喩としては拙いものであったとしても、そこにはぼくのもしかしたら大事な部分が露出しているってことはあり得る。
ところで、五輪開催でこどもの笑顔がみたいな言い方もぼくにはレトリックに見える。まあ、ぼくが意地悪なだけ?でも、別に、こどもはいろいろなことで笑顔になるでは?と。まあ、政治的な言説におけるレトリックは脱色して読むほうがいいかもだ。自分は極力そういう文章は書かないようにする。結果的に政治的になることはあるかもしれないが、そんなの知るかよって話ではある。