忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

あれ?

 『よふかしのうた』は13話まであるようだ。12話で最終回ではなかった。ちょっと、ひっかかるところあり。ひっかかるというのは気になるところがあるという意味で、悪い意味ではない。神原駿河の声で『化物語』を連想したわけではないが、忍野メメ

 いやいや。そういうことではないかもだな。とりあえず、探偵はなんなのか?恋愛に生きるなんてバカくさいというような知ったような口をきく、掃いて捨ているほどような大人ってことではないだろう。この人には、また別の狂気があるようだし、みたいなことを書き始めると睡眠時間がなくなるので、また、今度にしよう。

 主人公と同じように視聴者であるぼくもふりだしに戻ったってことか。吸血鬼とはなにか?

 

 あれ?

 『エンキス』はネトフリで見れるようだ。なぜ、これまでわざわざ別の配信サイトで見ていたのか?謎が深まる。最終回は見た。たしかに、未解決で大団円だった。

 

 秋アニメを少しチェックした。ついに、ガンダムを見る時がきたようだな!

 というのは嘘で、『逆襲のシャア』、『ポケ戦』、『0083』、『0080』を見たことがある。長いのは見たことない。しかし、便利な時代になったものだ。DVDを借りに行くというのも、今、思えばめんどかったし、借りるたびに、あるいは、延滞するたびにお金がかかっていたし、ということで学生の時は今よりもケチだったため、長いアニメと限らず、DVD自体、あまり借りなかった。借りるくらいなら、買ってしまおうという感じで、すごく好きなものを厳選していたな。

 今はやっぱり、便利でいい時代になった。お財布にも優しい。

 おっさんの話はおしまい。

 

 アニメ時評?というか、アニメ史?を見て感じたこと。

 なんといえば、いいのか。いくつかの点で、というか、2点でおどろきがあった。

 ひとつめ。宮崎、富野、押井についての理解。単に、ぼくがアニメ史的知識に乏しいというのは認める。しかも、富野監督作品は上記のようにひとつしか見たことない。でも、当時、その三人の監督の仮想敵?ライバル?が『宇宙戦艦ヤマト』や高橋留美子さんの作品だったというのは通説として、定着しているのか?

 通説なのか?

 アニメクリエイターが対峙していたものはメインカルチャーではないのか?テレビドラマとか、映画とか。あるいは、小説とか。ぼくはそう思っていた。

 まあ、なので、おそらく、ぼくのほうが勘違いをしているのだろう。とても、勉強になった。

 ふたつめ。あれ?ひとつめを書いているうちに忘れた。

 ああ、思い出した。

 「日常系」がゆるふわでやさしい世界とか、「なろう系」はさえない男が異世界転生でリア充化するみたいな通説を言っているのはアニメを見ていない人だと、これまで思ってきたが、これは、どうやら誤りで、むしろ、そういうことを唱えていたのはアニメを見ている人だったの?という問題。

 アニメに詳しい人、昔でいう「オタク」がそういう説を唱え、広く膾炙し、アニメを見ない人も通説として、そんなお話にのっているとことかしら?

 だとしたら、すこし悲しいね。「日常系」や「なろう系」の大雑把な説明にはなっているかもしれないが、肝心なところにはリーチしていないじゃん。しかも、その肝心なところは作品ごとに見ていくしかないようなものだし。たとえば、『リゼロ』をそういう作品と紹介する人が、もしいたら、ぼくはその人のお話は聞く気がしない。全然、違うよ、と答えざるを得ない。

 あと、もういっこあった。

 『リコリコ』の千束を「無敵の人」の派生種という解釈、批評?もし、これが現代の批評の水準なら、そういうものは読まれなくなって、当然では、と思う。まず、その「無敵の人」ということばの有効性の問題だ。安易にこういうことばを使うなと言いたいわけじゃない。ただし、「無敵の人」ということばがどれほど今の時代を語りうるのか?そこへの洞察なしに、ネットに転がっていることばを寄せ集めてできあがったような解釈にこころは震えない。

 まあ、これはぼくの好みの問題か。それほど、かーちんときたわけでもなく、あんまり、おもしろくないお話だな、と思っただけ。

 まあ、放言だけして、歯を磨いて寝るのも、すこし、ズルいと思うので、メモ書きを残しておこう。

 今の時代の空気感というようなものをとらえているとも、思えないけど、不思議なことはある。「無敵の人」だけが罰ゲーム感覚で生きているわけではないよね。そこらへんにいる小学生も、中学生も、高校生も、大学生も、大人もどことなく、罰ゲーム感覚を持って生きているように見えるよ。

 いわく。学校へ行きたくない。塾へ行きたくない。受験をしたくない。会社へいきたくない。社畜?それでも、がんばるわたしみたいな感じ。

 で、時々、耐えきれなくって?、なんか極端な形で社会に姿を現す。なんだろ?これ?とぼくは思う。

 「無敵の人」ということば自体、ぼくには理解しがたいものがあるのは、これによる。この人たちに固有な特徴とかあるのだろうか。