忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

寝る前に言う寝言の記録 たぶんその2

 ひとがもつ、もってしまう憧れと嫉みを描写する作品について

 『リズと青い鳥』は見る予定。

 才能の差という圧倒的事実から生まれる憧れと嫉み。それがふたりの親友で生まれるみたいな作品(なのかは本当のところは不明なのだが、PVをみて、そんな感じかなとは思った。)を過去に見たか?で、記憶にないなと。

 兄弟間のものはあった気もする。『a river runs through it』とか『ゆれる』とか、好きな作品だ。でも、才能の部分はすっぽり抜け落ちているかも。兄の持つ劣等感の輪郭はそれほどはっきりした形をとっていなかった気がするが、どうだったか?忘れたな。はっきりと劣等感については描かれていたかも。

 小林秀雄中原中也

 まあ、映像でどう表現されているのか、そこに注目してみよう。PVの内容を勘違いしているだけかもしれない?楽しみ。

 

 才能の問題は傍から見ているぶんにはどうとでもいえちゃうことなのかもだ。それぞれに個性があるとか、なんだとか。しかし、当人たちにとっては抜き差しならない問題になっちゃう場合もあるんだろうな。中佐古先輩の「トランペットが好き」ってことばはじんわりきた。

 あーでも人ではなく音に嫉妬しているのか?そんなに人間の頭って物わかりよくできているのか?

 

 歴史の審判的な発想について

 分科会が専門家の矜持をみせるという話を聞いた。

 専門家の意図みたいなものは詮索しても仕方がないとは思う。ただ、ひとがなにか社会的責任を感じて行動を起こすとき、どこかに歴史の審判みたいなものを想定しているのか?

 最近、歴史改変SF作品を見ていたから、気になっただけかも?

 まあ、それに関する疑問。

 その歴史の審判の審判者はだれ?将来の日本人?

 ここでちょっとわからんこと。歴史ということばを口にするとき、そこで日本という限定が入るのか?もしそうなら歴史の審判というときも、日本人を想定していることになる。うーん。

 歴史の審判みたいな発想はぼくにはよくわからんな。そこまでぼくは日本を気に掛けない。

 これと関係あるか、どうか不明だが、たまに話題にされる日本が没落していくみたいな話もよくわからん。そんなに日本が気になるのか?うん、わからない。

 日本が好き、嫌いとかそういう話をしているわけではない。そういうことでいうならぼくは日本文化がけっこう好きなのだろうし、でも、同じような感覚で外国の文化も好きなわけで。やっぱよくわからない。

 いずれにしろ、そういう「歴史」には興味がもてない。でも、歴史に興味がないわけでもなく。ではぼくが考える歴史ってなに?って話になるかもしれないが、それを知っていたら、日記に書くかよって話である。わからないからこーして忘れないようにメモを残しているのだ。

 もうひとつあった。歴史の審判に委ねるという場合、その時になされる評価と未来になされる評価の関係。

 ヴィヴィはもしかして審判するものとして存在しているのか?とか。100年生きることが可能なAIだから、そうなるのか。

 結末まで見ないとわからんな。

 

 説明過多な作品に関する記事には関連記事があったみたいだ。そっちはまだ読んでない。両方読んでから書けばよかった。これは言い訳だが、ぼくはそそっかしい人なのだ。

 

 「大きな物語」への回帰?

 シンギュラリティとかもそうなの?

 『進撃の巨人』も?

 ?が1000個並びそうなくらい理解できない。(批判の意図はないです。そういう意図がある場合ははっきりと自分の理解できる範囲で批判します。)

 ポストコロナがどーたらみたいなのも、そうなのか…

 あんまし興味はないかもだ。