忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

物語の本筋とはあまり関係のない挿話の面白さについて

 ツイッターで見かけた話題。

 物語の本筋以外のところにある面白い挿話などの効果について

 その方は『ファウスト』での話をしていた。ぼくは読んだことがないのでわからない。ただ、別の作品をいくつか思い浮かべた。

 ふたつだけ挙げてみよう。『吾輩は猫である』と『蒼穹のファフナー』。このふたつについてはぼくは明らかに本筋とは関係のないところに興味をもった。

 『吾輩は猫である』は少し違うか。とっちらかっているとはいえ、そのちらかり具合というか、小説の破綻は漱石の自意識の露出と見るのが自然かも。登場人物に漱石自身のかんがえていることをもろにしゃべらせるのは小説として見れば破綻していると厳しい見方を示していたのが吉本隆明だった。(この評価は面白さとは関係がない。)まあ、ぼくはそこまで厳しい見方はしない。

 『蒼穹のファフナー』ではどうだったか?本筋とは関係ないが、主要な登場人物の特徴の紹介にはなっていたかも。ある種の幼い子がもつ特性みたいなものを見せる演出でもあったか。(ただ、このようなこども観はたいていの場合、大人の錯覚に過ぎないと思っている。)

 まあ、いずれにしろちょっと効果については見当がつかない。まずやはり『ファウスト』を読んだことがないので。ただ、上記の作品、あるいは、そんな高級な文学ではなくこの日記をかいているぼくでもなぜか脱線しながらも、書いてしまいたくなることがよくある。なのでなんとなく関係のない話をぶっこみたくなる作者の心理みたいなものは思い浮かべることができるかもしれない?

 まず、書きながら、ひとはけっこうその書いている文章とは無関係のことを考えたりしている。この日記を書いている今もそうだ。さっき散歩のついでにパン屋で買ってきたミルクフランスとこしあんパンのどっちをこの日記を書き終わったら食べようかな?とか。まあ、そのおやつの話は大して面白くもないから、普段なら書こうとは思わないが、初期の漱石とかも書きながら面白い着想が生まれてきたりして、ついつい余計なことと知りつつも書いてしまうこともあったのではないだろうか?

 あ、最近、再読ゆえ、とばしとばし読んでいる『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』でもおいしいサンドウィッチの作り方の話とかはそういうのにあたるだろうか?あとは酒のポスターに対する主人公の男の批評とかも。もうひとりの主人公と老兵士のチェスをしながらの会話とかも?でも、とっちらかっている印象は受けない。なので、違うかも。

 うーん、これは考えてみるとけっこう面白いかもしれない。作品の面白さの大部分は本筋の物語られ方によるところがおおきいと思っていたけれど、自分の記憶を探ってみると意外と本筋以外のところのものが残っている。映像作品の場合は視覚効果なんかにも影響を受けていそうだ。文章ならやっぱレトリックか?まあ、これはぼくの頭の精度というか、認識の仕方も関係あるかも、断章的な理解に終わっていることがぼくの場合はおおいのだ。

 そういえば、映画『おもひでぽろぽろ』で一番好きなシーンは曇りが好きとか言っているところだった。めったに好きな天気とか聞かれることはないが、聞かれたら、ぼくもそれに倣って曇りと答えるようにしている。

 もうひとつ思い出した。最近の作品では『神様になった日』は前半のギャグパートはわけわからんし、前半と後半の話のつながりとか、正直、理解できなかったが、なんとなく好きな作品だった。

 『安達としまむら』にも殺人事件の話が唐突に出てきたが、すでにこの日記でもそのことについて考察したはずなので今日は書かない。