忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

もう少し別の観点から

 『Vivy-Flourite Eye's Song-』について

 歴史改変ものというもが結局のところなにを物語るのか。そこはわからないのでほっておくとして、わかるところを少しずつ積み上げていってみるかというおもむきで話を進めてみよう。

 

 いくつもの世界線に分岐する的な歴史改変もの?

 以前にもこの話は日記で書いた気がするが、ぼくはそもそも自分の今いるこの世界しかありえないと思っているので、こうした見方はどうにも苦手だ。それゆえに『シュタインズ・ゲート』という作品すら、その視点から物語を解釈することはなかった。

 自分の人生については一本道のように見えるという線を譲ることはできそうにないけれど、世界の在り方についてはもう少し別の見方もできるのか?やっぱよくわからんな。だれかが過去に介入することで別の世界になるってぼくにとってはどういう意味を持つんだ?

 まあ。世界の在り方の可能性を探るみたいな感じなら、わからなくもないか?

 歴史の偶然と必然ってそういう世界観の作品ではどのような意味をもちうるのか?

 『Vivy-Flourite Eye's Songs-』で元の世界線ではAIと人間の戦争はなんで起きたのだろう?偶然か?必然か?どっちでもいいのか?介入して解決するのなら、どっちでもいいのか?

 あれ?今書いていて、変なことに気づいたぞ。別に『Vivy-Flourite Eye's Songs-』に限らず、何かしらの問題解決がメインストーリーとして物語られる時、その解決は偶然やってくるのか?それとも、必然として方が付くのか?

 作品によっていろいろな結末がありうるのは当然として、ここで留意すべきは作者がなぜ偶然にしたのか?あるいは、必然にしたのか?そこは受け手としては考えてみる余地がありそうだな。

 最近ってほどでもないけれど、『リゼロ』のエルザの死は偶然に支配されていたな。

 ああ、やっぱ歴史の偶然、必然もこの話の延長とみてもいいかも。

 『Vivy-Flourite Eye's Songs-』で語られるか、まだ不明だが、なぜAIと人間が戦争を始めたのか?そこは注目しておこう。きっかけが偶然なら解決も偶然かもしれないな。まあ、でもあり得る推測として、そんな描写だと雑という評価に落ち着きそうな気もするけれど果たしてそうであろうか?というのはやはり自分の人生を見ても偶然性は意外と侮れない、そんな気がする。加えて、そもそも解決されねばならないのか?戦争は回避できたら、そのほうがいいのだろうけれど。

 

 あと、マツモトのやっている演算処理の結果は必然だよね。もしAIだけが存在する世界があるとして、それは必然としてあらわれているのか?そうすると人間の存在が偶然を生むのか?まあ、この作品の理解として、これが成り立つのかはやっぱよくわからんね。

 

 念のため書いておくとSF作品の整合性みたいなものを考察しているわけではない。