忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

メモ

 オウムの面々が刑死してからどのくらいの月日がながれたのだろう。以前から気がかりだった徳富蘆花の文章についてようやく調べた。まず、その文章が存在するかも確かなことではなかったが、結果としてはあった。青空文庫にも収められており、『謀叛論』というものだった。どうやら岩波文庫にもはいっているらしいので、ぼくは学生の時それを読んだのかもしれない。編集したのは中野好夫

 記憶の中では幸徳秋水への追悼文ということになっていたが、そこは違った。また、気になっていた秋水の母への気遣いも勘違いであった。ぼくは蘆花がこの文章をしたためる段階では自決していないと思っていたのだが、すでにそのあとに書かれたものであったのだ。蘆花は刑死した人びとに加え、秋水の母の死も悼んでいたのである。

 息子が大罪を犯したからといって、母がその罪に対する申し開きに死ぬようなことがあってはならぬと蘆花が考えていたか、否かは分からないが、今から十数年前にこの文章を読んだぼくはそのように考えていたのだろうし、今もその点については変わらない。

 この母の死にひとは何を思うのだろう。ぼくはまず実に日本的だと思った。埴谷雄高が警察に捕まった時、祖母はご先祖様に申し訳がないから自決すると言った話も読んだことがある。武家の所作といえば、そうかもしれないけれど、これも実に日本らしい。あるいは、元事務次官が息子を手にかけたとき、その行動に武士を見出すひとのこころも日本的だと思う。

 かつてのぼくはこういう話に自分自身のこころが動かされるからこそ、こういうものが日本人のこころから綺麗さっぱりと消えてしまえばいいと思っていたが、今ではそれは諦めている。おそらく日本人は変わらない。それでも、ぼくにできることがあるとすれば、『うる星やつら』に出てくる錯乱坊のように「定めじゃ」と受け入れることくらいだろう。公然と言って石をぶつけれるのは癪なので、こころのなかでそうつぶやくだけかもしれないが。

 それとこの文章を再読して気づいたことがあった。蘆花も西郷病だった。これもまた日本人のこころである。西郷隆盛を尊敬してやまない。こういう日本人の在り方もうっちゃってやりたいものだが、無理なのだろう。

 それともうひとつ。蘆花の生きた時代の人びとはみな天皇の和歌を暗唱できるのだろうか?内容的には君主のこころのようなものが見えて、個人的にはちっとも魅かれないが、当時のひとの読み方はどのようなものだったのだろうか、そのへんのことについては気になった。ちなみにぼくは天皇の歌を一つも暗唱できない。百人一首に収めれているものは例外として暗唱できるが、意味はよく分かっていない。