忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

無題

 結局、『安達としまむら』の最終回を見るのはこの時間になってしまった。まだ1回しか見ていないので、感想はまた見直してからにしようと思う。ただ、これだけ綺麗にまとめたら、2期がなさそうと少し不安になる。『やがて君になる』の2期も見たかったのに今のところ音沙汰なしだし、なんだろう、ぼくの楽しみにしている作品は2期がこないのか。

 製作にたずわった方々全員にお礼を申し上げる。

 とても楽しかったです。ありがとうございました。2期にも期待しています。

 

 全体を通しての感想

 まず、登場人物に興味を持てた。普通に学校に通う普通の高校生の話ならここまで興味を持たなかったように思う。例えば、普通に学校に通い、普通にみんなと一緒に授業を受け、普通にクラブ活動に勤しみ、これって青春サイコーってやつじゃね?みたいな普通賛美の青春謳歌物語なら見たかもしれないし、それを見て、面白いと思ったかもしれないが、ぼくがこの日記にたくさんの感想を書くことはなかっただろう。ぐうたら生徒の日常とか書くと身も蓋もない話に見えるかもしれないが、そういうひとたちのもつ生真面目さのようなものが透けて見えるのも、この作品の好きなところだ。義理堅いやくざ像に対する好きとは違うように思うし、ギャップ萌えとも違うし、なんなのだろう。

 本題にもどろう。世間でいうところの「よい親」にはなれない安達の母が出てきて、さらに島村家での朝食の場面を挟み、徐々にではあるが、ぼくがこの作品に魅かれた理由が明らかになってきた。いろいろとそれについては拙いことばでこの日記にも書き記してきたわけだが、もう一度書いてみようと思う。

 この作品ではひとつの軸として、社会への順応というものが描かれていたではないか。ヤシロとは違って人間社会ではオギャーと産声を上げて、7歳になると、ある日突然、義務教育の名のもとに学校という環境に放り込まれ、訳も分からず、とりあえず敷かれた道に沿って生きていかねばならない。ところが、その道中で時に違和感が生まれ、道から外れてしまうものが出てくる。そんなふたりがサボり場所の定番?体育館で出会うところから始まった物語。上述したように普通の高校生が普通に出会う話にはない魅力がこの作品にはあるということだ。また、それでいて普通の高校生ではないからと、ありがちな不良の青春を描くということにもならない、この点も面白かった。拳で語る青春でしたとか、盗んだ原付で走りだしましたとか、そういう話にもならず、不器用ながらも社会へ順応していく姿が描かれていく。これはいつか、だれかの来た道である。

 ところが、安達と島村が自分たちにできることを積み上げ、表面上、普通の高校生になっていく様子はぼくには堕落に見える。堕落するのに努力が伴うなんておかしいじゃないかとひとは言うかもしれないが、堕落する道が楽で平坦となどという道理はどこにもないのだ。しかし、これは実に不思議で、残念なことだが、はじめはつらかった人並みなフリもやがてそのことに抵抗がなくなる。慣れてしまったのだろう。フリがフリではなくなった嘘からでたまことと言えるかもしれない。

 そして、その社会への順応とふたりの関係性が少しずつ変化していく様子が交差しながら並行し、特徴的独白を通して描かれている。で、その独白に魅力をぼくは感じる。どうしてぼくが彼女たちの独白に魅力を感じるのか?あれこれ書いてきたわりには、いまいちその正体は判然としない。ネットでも、この独白について詩的であるとか、巧みな心理描写とか様々な評言があてられたいたが、ぼくもその通りだなと思いつつ、そういった評言には収まりきらない何かがあるのではないか、とも感じていた。

 ふたりは相手や自分について多くのことばを費やしているのに、それをお互いに伝えることはない、このことの不思議さ。過去にもきっとこのような作品に出会っていたはずなのに、この作品ではじめてこの不思議さに気づいた。きみたちがこころの中で語っていたことばを相手に伝えれば済む話ではないのか?そんなことを思ってしまうわけだが、これはまさに無粋そのもので、相手に伝えてはいけない、秘すべきことばなのだ。ここで重要なことがある。それは秘すべきことばがトラウマ級の何かではないことで、実のところ聞かれて困るような話ではないところにあると思う。だれにも話すことができない重大な秘密をみんなが抱えて生きているみたいな大仰な話であれば、そこまで興味をもたなかっただろう。そして、彼女たちがこころの中で語る何気ないことばにこそ真実が宿る、とぼくには見える。つまるところ、著者の書くことばの独特な魅力ということになるのかもしれないが、アニメではそのことばにさらに音が与えられたことにより、魅力がました。声で楽しむ物語でもあったわけだ。

 ぼくにとってのこのアニメの面白さの軸はこのふたつ、社会への表面的な順応の描写と特徴的な独白であった。

 映像に関しては疎いながらも綺麗だなと思いながら見ていたので、その感想も書いておこう。自転車のふたり乗りのシーンなんかとても好きだ。そのままこいでいくと気づいたら空を飛んでいた。そんな感じが好きなのかもしれない。最終回の目の描写なんかも非常に丁寧でふたりの魅力にもなっていた。好きだった映像表現を上げていたらきりがないわけだが、個人的なハイライトは8話のシーン。ふと島村が安達に目をやると、安達が卓球台を見つめていたシーンだ。ふたりにとってはもしかしらたらあの卓球台が聖地なのかもしれない。ふたりの出会った大切な場所、お母さんとお母さんが出会った大切な場所なのよ、とか将来、きみたちのこどもに話してくれないだろうか?とか想像してしまう。もう5回くらい見ている。また、これからも何度も見直す回になると思う。

 それとこのアニメを見始めたころに感じた『少年アシベ』的雰囲気。(アシベとスガオが安達と島村みたいな「不良」高校生になっていても不思議ではないし、ふたりが付き合っていてもそれほどの違和感はない。)これはあながち見当外れでもなかったようで、最近読み終わった原作2巻のあとがきで『少年アシベ』について触れられていた。もしかしたら、島村の勉強部屋のアザラシクッションはそのあとがきから生まれたのだろうか?この部分に限らず、原作を丁寧に構成、映像化されていたことに感謝しかない。

 ということで、もう一度、感謝。

 ありがとうございました。そして、2期もお願いします。

 

 のらりくらりと読んでいるので原作は現在3巻冒頭。