昨日の続き
コロナ禍における隔離
僕が生まれてほぼ初めてのことではないか。毎日のように隔離という言葉を目にしたり、聞いたりすることである。
検査を増やす。感染者を速やかに見つけ、早期隔離。感染者増加のスピードを抑制する。こういう理解でいいのだろうか?
ナチスの隔離はあれほどまでに批判を受けた。当然のこととも思う。
この度のコロナ禍における隔離はどうなのか?自分がそうなったらいやだなと思うけれど・・・・
思えば自分は世田谷区民であった。検査はどうやら職種によって限定的に行われるようなので、自分は検査を受けることはないだろう。でも、自分にはそれほど関わりないがないにせよ実際検査が行われることになったら、どうのようなことになるのだろうか・・・・
極端な単純化は良くないのだろうけれど、現実的な対応に理想が食いつぶされる様を見るようでもあり、さりとて、そのことにあまり拒否感もなく、それが奇妙だなという話。