忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

今でも不思議に思うこと

 納得できないのでまた書いてしまうわけだが、うちの犬がまさか死ぬ日が来るとは思わなかった。自分もおかしなこととはおもうのだけど、うちの犬に死ぬ日が来ることを想像できなかった。実際のところ、老いていく様子は直に見ていたので、肉体的な衰えというのはわかっていたのだが。これはもうはっきりと見てわかる。歯が抜けて、大好きな肉やら芋やらが食べられなくなる。そういう様子を見ていると、長生きしていることを不憫な気にもなるのだけど、いかんせん彼とは言葉が通じない。なぜか深夜になると私を呼んでいるのかもわからなかったけれど、泣いているのでそばに座っていた。

 

 全然関係ない話。

 以前ネットで見かけた話。愛読しているブログで論争のようなもの?があった。ナチスの理解について。ナチの語源から理解するのか?その場合、ナチスナショナリズムの範型となり、その観点から強制収容所についても見ていくことなる、と一方の主張に対して、ナチス国家社会主義の一形態と見るべきであるというようなものだった記憶。

 当時、この話がよくわからなかった。今もわかっているのわけでもないかもしれない。それでも、このコロナ禍において少しわかったような気がする。強制収容所とは隔離施設である。国家社会主義における衛生管理はどのように行われていたのか?そもそも初期のナチス支持者層における優生学者たち。このひとたちの福祉政策における主張はどんなものであったのか?こうしたことを少し調べてみようかと思って早数週間。何もしていない。

 ナショナリズム批判としてその矛先をナチスに向けることで見えなくなるもの。国家社会主義における福祉政策の在り方、その結果として生まれたのかは分からないが、強制収容所の在り方というもの、そこらへんを見落としてしまうことなりはしないのか?という疑問。

 

 それにしても、当たり前のように隔離という言葉が使われる日常というものもなんだか奇妙な感じがする。その「隔離」には正義があるということなのだろうか?

 

 9話の感想は後日書く。

 総裁選は特に関心はなし。

 石破さんが議員から人気がないというのは本当なのか?いや、石破さんを次の総理にするわけにはいかないことを確認するために夜な夜な会合を開くひとたちがいるというのは本当の話なのか?にわかには信じがたい。それと、そのことをメディアで公然と話されていることに気持ち悪さを感じるだが・・・・

 政治家と限らずひと全般に人間性のようなものを求めないのでこういう話が大事なのか、いまいちよくわからない。そもそも、人間性というものがよくわからない。それはひとのどこらへんを見たり、感じたりすればいいものなのか?