忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

書き洩らしたことをまとめて書く

 押井守監督について

 ラムを記号化する試みと『ビューティフルドリーマー』を解釈してるのだが、なぜそう考えたのか?監督の映画を関心を持ってみてきた私には彼は人間ドラマを描くために映画を撮っているのではないと感じたから。キャラクター性などはできる限り排除して構わないもの。仮に、キャラクター性のようなものが描かれていたとしても、その映画の中でそのキャラクター性は重要ではないという理解。

 

 『宇崎ちゃんは遊びたい』を見て、まず、思ったこと

 キルミーベイベー!!!でも、こっちは男女なのだなと。とすると、見ていくうちに『キルミーベイベー』とは異なる何かを見れるかもしれないという期待はある。『キルミーベイベー』は歌とあの踊りはやはり好きだな。あとああいう友情、もしかしたら愛情の描かれ方。押しつけがましいなにか。