春アニメ メモなど
『まちカドまぞく』
この作品に限らないけれど、ぼくは日本のアニメのかもす笑いは好きだ。特別な工夫が凝らされているということではないのだろうけれど、いや、そうでもないのか、どっちかはよくわからないけれど、おもしろいと思う。爆笑というのではないし、おもしろい。
こういうのも話芸なのかも、たいしておもしろいこといっているわけでもないのに、おもしろく聞こえる。
いずれにしろ、ぼくが話芸で想定しているのは、たとえば、芸人さんのしゃべりみたいものではない。ぼくはぼくのばーさんの話し方とかけっこう好きだった。でも、声についてはもうあまり覚えていない。
犬はなにを話しているのか、さっぱり理解できなかったが、散歩でかけっこした後とか、たのしそうに吠えていたのでぼくもその気分を分けてもらった。そして、いつの間にかぼくも散歩が好きなった。本当はごろごろしているほうが好きだ。
1話だけ見て気になった作品は『処刑少女の生きる道(バージンロード)』。
1期を見たので『盾の勇者の成り上がり』は楽しみ。
話題になっていた入学式の祝辞の全文を読んだ。
祝辞というものは学生に退屈を強いる、ある種の罰ゲームである、とかいうと怒られちゃうか。でも、ぼくは自分の入学式も卒業式もあまり覚えていない。卒業式にいたっては日付を間違えて、電話がかかってきたくらいだ。たしか、別の学部の卒業式でその雰囲気だけを味わった記憶がある。
脱線した。
とりあえず、当該の祝辞の話題になっていた箇所については特に感想もない。
別のところは気になったかも。真理をつかむというようお話の部分。ぼくにはそれこそ雲をつかむようなお話に思える。最近、ちょっと考えていた話題にも関連する。
いろいろな方法があるとは思うが、嘘を通して見えてくる真実みたいな感じ。「信頼のおけない語り手」とか「(疑似)回顧」とか。放言しちゃうと、嘘を通さないと見えてこないものがあるような。たぶん、自己イメージとか。記憶とか。
なので、とくに河瀬監督に反論とか、異論とかがあるというわけでもない。
ただ、なんだろう。必死になってつかんだ真理らしきものは真理でも、なんでもなかったみたいな結末がぼくは好きかも。自分はそうでありたい。これはおっさん化してそう思うようになったのかも。10年前はもっとなにかにつけ、はっきりとしたことがいろいろな面でいえるようになっていたいとか、一定の解答を出すことに焦っていたようなところとかあるが、なんかどーでもよくなってきたというか、なんというか。
と書きつつ、愚にもつかない思索をひとりで夜な夜なやったりするので、ますますわけわからん。まあ、いいや。
とりあえず、オリンピックの記録映画は結論ありきではないということかしら。やってよかったという結論ありきな映画ではないのだろうと、当該の祝辞を読んで、勝手に想像した。
映画館に行くかはあやしいけど、見たいと思っている。「東京」がどう映像に残されるのか。そこへの関心。
というか、押井監督はもう「東京」には関心がないのだろうか。
※祝辞への批判について。戦後民主主義への批判と重なっている部分があるのだろうか。ちょっと違うのか。
このことについてぼくが書くのはふさわしくないというのがまず、ある。なにしろぼくは戦後民主主義なんて嘘くせーとか思っていたのだし。でも、その批判のかわりに出てきたのが正義の大合唱とか、ゼレンスキーさんを英雄視した応援歌なのかよと複雑な気分になる。
そして、こーいうメモを残してしまうぼくの頭か、こころは腐っているのだと思う。