忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

また考え直してみた

 『イエスデイをうたって』が終わってしまった。ネットなんかをのぞいてみても、最終回に対する感想は様々であった。原作を見たことがない私からすれば、少し唐突な感じはあったけれど、いい終わり方と思えたし、楽しめた。

 この作品にどのあたりから熱中しはじめたのかというと、湊航一の回だった。人物写真は苦手でみたいなフリからのあのオチはベタなのかもしれないが、すごくよかった。何がよかったのかと言えば、湊が写真でとらえたハルの表情のことである。あのなんともいえない寂しい暗さをたたえたハル。陸生はもしかしたら、あの写真を見るまで、こういう表情のハルを見たことがないのではないか?僕たち視聴者はそこが作中の陸生と違う部分で、陸生よりハルに詳しいのだ。陸生の知らない、見たことのないハルを知っている。なので、最終回のような結末を迎えたとき、なんとなく温かい気分に浸れる。この手の視聴者あるいは読者と作中人物の認識のズレを利用した文学は思えば、ミステリーに限らないのだと今ふと思った。また、脱線してしまった。

 で、あの寂しい表情、すごくいいなと。今でもなんとなくぼんやりと思い出すことができる。湊があの表情を知ってしまったら、好きという気持ちは抑えきれなかったのは、ちょっと痛々しいくらいに分かる。世の中にそんなものがあるかは知らないが、2020寂しい顔アワードで受賞できるくらいにはあの表情はよかったのではないか。生身の人間では出せないようなリアル、アニメーション、絵の良さということになるだろうか、このへんはちょっとよくわからない・・・・なので、あの回だけでも原作を確認したいと思っている。思えば、ハルの元気な雰囲気が映えるのも、あの寂しい、暗い感じがあればこそだったのだな。

 と、ものすごくハルをほめちぎっているように見えるわけだが、湊の回に続く形で出てきた柚原チカの回。この回で決定的にこの作品が好きになった。何がよかったのか。柚原チカのタバコを吸う表情。陸生は気づかなかったのかもしれないが、高校時代のおそらくタバコを吸わない頃のチカもきっとあんな目で校舎の窓の外を眺めていたはずなのだ。どこみるということもなく。

 これはちょっと考えてみると面倒なことになりそうだ。この作品はしなこと浪を例外として誰からも理解されることない暗さをどこかに抱えていて、その暗さが表情としてあらわれる。そこに私なんかはひかれたわけだが。この種の暗さってなんなのだろう。この作品では、特にハルの場合、その暗さの淵源が明示されない(いや、家庭環境で多少はだしているのか?)ことがよかった気がする。なんでもかんでも手の内を明かしてばかりいると味気ない。

 そういえば、しなこは物語の設定上からも寂しい表情というのはもちろんあったわけだけれど、それ以上に何か困ったような表情のほうに私は目がいっていた。困惑気味というような。これは陸生も同様かもしれない。臆病という感じでもある。この点は以前にも触れたので、まあよいか。

 それはそれとして、表情と風景。この描き方、リンクのさせ方もよかったのかもしれない。最終回、しなこと陸生の話をするとき、快晴だったのも。