忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

可能性について

 もう少しはっきり書けばよかったなと思った。「可能性」ということばで気になった作品というのは『ssss.gridman』と『あかねさす少女』のふたつだ。

 『ssss.gridman』について

 アカネ君が創り出した存在が変化した可能性を示唆し、それがきっかけとなって物語らしい解決?へと導かれたと私は受け取った。

 しかし、私はこういう解決でないものをどこかで期待していた。最後までさえない神様というところは非常に好きな終わり方だったけれど。

 では私が望んでいたことはなんなのか。

 伏線の回収か?アカネ君の過去に何があり、どうしてこういう世界を作ったのか知りたかったのか?いや、こういう部分は私にとってはほぼどうでもよかった。なにかこう仕込みあるだろうとか、過去つらい経験をしてとか、予想し、それが合っていたのか、どうか、そういう答え合わせのために自分はこの作品を見ているわけではなかった。というか基本的にこういう作品の見方は私は得意でない。ちゃんと理解してみようとかあまり思わないので。

 と書いていておもったのだけど。あの結末は結局どういうことなのだろう。アカネ君にとって自分の作りだした世界は「現実」の世界と等価なのだろうか。そうだとするととわのお別れは相当悲しい感じがする。こういう終わり方、私は好きかもしれない。

 あれれ、はじめ考えていたこととずれてきてしまった。

 当初は、物語的結末になるんだろうなと予想しながらも見て、それをどこかで望みながら、実際そうした結末を提示されるとなんだか素直に受け取れない自分のことについて書こうとおもったのだけど。書きながら、考えてみると『ssss.gridman』の終わり方もなんだか好きな感じだ。『電脳コイル』の終わり方もすごく好きだった。

 『あかねさす少女』も何話だかわすれてしまったけど、あすかは友達にも本当の気持ちを明かしていないと指摘されたあたりのやりとりなどがとても好きだった。そんな感じからなんとなく希望エンドなのはわかっていたので、実際、その通りな感じだったわけだけれど、可能性ということばがあまりに何度も出てきたので少し気になってしまった。

 ところで本当の気持ちとか、本当の自分とか。こういうのになぜ興味をもってしまうのだろうか。あるいは本物の気持ちとか、偽物のそれとか。偽物が本物になるとか。あれれ、また話がずれているな。

 まあともかく、『やがて君になる』の作中劇もそんなかんじなのですごく楽しみだ。