忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

気になる部分とそうでない部分

 小説、アニメ、映画の鑑賞について。

 気にならない部分といえば、登場人物の人格の善し悪し。小さなころは気にしていたのかもしれないが、徐々に気にならなくなった。もっとも、幼いころに読んでいた少年漫画の登場人物はそれほど性格づけがされていたともおもえない。自分の経験に即してみても、例えば友達の場合、たまたま家が近くて、帰る方向が同じだったというのがきっかけで、徐々にお互いのことがわかり、かりに自分やその人に人間として嫌な部分が仮に見つかっても、さようならとはならない。恋人選びだって、きっかけとしてはたまたま同じ集団に所属していたこといったことのほうが重要で、性格についても、善し悪しを問題にすることはなかった。問題になったのはむしろもっと違う部分だったように思う。

 登場人物の設定がころころ変わる場合ではどうか。きっと、これには自分の場合、気にならないというよりも、気づかないほうが多い。気づいたとしても、そもそも、こういうキャラ設定なら、こういう発言・行動はしないはず、とまず思わない。キャラ愛のようなものは薄いのかもしれない。『シュタインズゲート』を見ていたとき、椎名まゆりが性愛の扉をこじあけて、自らが理想とする共同幻想をぶっ壊し、対幻想の世界に飛び込んくれたら、私はきっと応援する。こういうことはしないだろうとは思わない。大体の場合、どんと来いキャラ崩壊くらいの気分で読んでいる。

 意匠の巧拙。今見ている中でも少々感じることもけれど、かりに破たんしていても気にならない。気になる場合があるとそれば、たとえば科学的意匠が見どころのひとつになっている場合なのだろうが、そのような作品に最後まで付き合うことが私にはない。

 未完の作品というのも気にならない。『明暗』、『死霊』は完成を見てみたい気もするが、無理なことは望まない。

 気なることがあるとすれば、作品内の世界はこういう原理で成り立っているという世界観をせっかく提示してくれたのに、それをないがしろにする場合。ただし、そういう作品にあまり出会ったことがない。そもそも、世界観が必要ないものも多く、なくても楽しい作品も多い。あと、複雑な世界観すぎて、理解が追い付かなくても、これまた楽しめる。『サクラダリセット』、『灰羽連盟』とか大体わかってないけれどすごく没頭して見ていた。見終わって、細かい考察をしてみようと思わないのは自分の性格に由来するのだろうか。