忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

シュタインズゲート(アニメ)

 6年ほど前に薦められて、ずっと気にはなっていたものの見ていなかった。シュタインズゲート0が始まったのをきっかけに両方見てみた。

 物語の細部までしっかり理解できてないのだろうけど、とても楽しかった。謎解き要素が入っているだけで、私などは展開が気になり、見続けてしまう。

 鳳凰院凶真について少し思うところあり。

 闇の機関に追われている話などは自分たちも学生の時分やっていた。学校の食堂で、卒業旅行の機内で。友人と「さっきからこっちの様子をうかがっているやつがいる。気をつけろ」みたいな。このゲームの作者の年齢は知らないのだけど、自分と同じくらいで、当時、全国的にこういう遊びでも流行っていたのだろうか。少し気になる。

 本題はこれとは別で。私が以前、日常的に読んでいたブロガーのツイッターシュタインズゲートについて話していた内容に引っかかっていた。

 その人の話の一部に、シュタインズゲートという作品は世界線の話ではなく、まゆりを中心とする共同幻想の世界と紅莉栖を中心とする対幻想の世界の矛盾が描かれているというような内容が書かれていた。その後に若干その内容は違うかもとも訂正されていたが。

 いずれにせよ私にはけっこう納得できる部分があった。まゆりのほうが好きな理由が自分になりに了解できた気がしたのだ。

 まゆりが好きなのは鳳凰院凶真なのか、岡部倫太郎なのか。ビンタしに行ったということは、ラボでみんなとはしゃいでいる鳳凰院凶真にまた会いたいという気持ちはあったように思う。そんなまゆりのラボを大切に思う気持ちに私は好感が持てたのだろう。共感というほど大袈裟なものではないけど、まゆりの気持ち少しわかる。(そもそも登場人物に共感するということ自体非常に稀なので。)

 二つの世界の矛盾を描くことでドラマが生まれ、その熱に自分はやられていたのだな。まあ、時間の残酷さというのも年々感じ、そこにやられたともいえるが。