忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

丁寧に懐疑的に

 小林秀雄に興味を持ったきっかけはなんだったのかなと思い返してみる。言い回しが気障で素敵というのもあったのだろうけど、なによりも丁寧な感じが好きだった。小林は批評について、自分の夢を懐疑的に語るというなことを言ってたと思う。ひとがどう読んだかは知らないが、自分は「懐疑的」というところにアクセントを置いて読んだ。それが正しいかも知らないけれど。

 巷間には自信に満ち、その内容に疑いの余地なしといったことばであふれかえっていると当時の私には感じられたのだった。なんだか恥ずかしい話だ。そんな私には小林のことばは彼が自信を持ちながらも、それを懐疑的に語る丁寧さを持っているように感じた。対談などにも加筆修正をしたのもそのためだろうとか、持って回ったような言い回しもそのためだろうとか、『感想』が完成しなかったのもそのためだろうとか。しかし、『本居宣長』には驚いた。なんで墓の話がでてくるんだと。きっかけは何であれ、いい本を読めたと思った。