忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

異なる価値観

 どういう文脈だったか、詳しいことは忘れてしまった。押井守がかつて異なった2つの価値観の相克がドラマを生むといっていた。しかし、日本人はそういった相克を望まないため、ドラマを必要としないというような話だったか?定かではないが、日本人の作品に傾向として、そういう部分があるということだろうか。

 では自分はどうなのか。そういうものを望んでいないのか。よくよく考えてみれば、価値観そのものがない場合が多く、何とも言えなくなる。仮にあったとしても、それを強く主張することでドラマを生活の中で生み出したいとは少しも思わない。いさかいのあれやこれが面倒だとは思わないけれど、大事な思いであれば、もしいるなら神様との約束事のようなもののように大事にしていけばいいではないか。天地神明に誓ってと誰かに聞こえるような形で口にするとその言葉は力を失うと考えてしまう。

 しかし、作品の中で価値観の対立が描かれれば、それはいわゆるもえる展開だろうなとはおもう。