忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

今ひとつ、よくわからない メモ

 ぼくも、話題のひろゆきさん論を読んでみた。早起きしたついでだけど。

 その感想、あるいは、その文章への疑問。

 その文章を読んでも、そもそも、なぜひろゆきさんの言動が問題であるのか?そこがわからなかった、というような感想自体がその文章の論旨からすると「冷笑系」ということになるのか?たぶん、そうなのだろうけれど、ぼくはあまりひろゆきさんから影響を受けていないというか、あまり知らない。

 しかし、なんとなくの印象としてひろゆきさんは若い人から支持されているのだろう。ぼくがけっこう影響を受けた吉本隆明なんかも、当時の若者(団塊の世代)の支持がすごかったと聞いている。もっとも、ぼくが彼の本に出会った時、彼はすでに老人だった。当時はぼくも若く、若者として彼の本を読んでいたわけだ。自分よりもすこし年上の人だと、彼らにとっての若者のカリスマは松本人志さんなのだろうか。その前だと糸井重里さんとか?浅田彰さんとかも、そうなのだろうか?筑紫哲也が雑誌?で取り上げたことで広く世間に膾炙したと聞いた気がするのだが…詳しいことは知らない。「新人類」だっけ?

 とりあえず、メディア現象と思う。ひろゆきさんも。今だと売れなくなった出版界の救世主的な。オピニオンリーダーがいるといろいろと好都合なのか?みたいな。

 で、そのメディア現象というものの持続性の問題がある。一過性なら、問題視するのも変な気がする。それとも、ぼくの知らないうちに若い人たちは決定的におかしな方向に進んでいて、後戻りできないようなところまで来ているのか?んな、ばかな、とおもうのだけど。

 なんの問題なのだろう?一過性の流行とは資本主義の問題なのかしら?それだと、問題はひろゆきさんではなく、資本主義なの?要は、松本人志さんを例にすると、いくらすごかったと言われても、十年、二十年もたつとなんのことやらさっぱりわからんという状態になる。宇多丸さんの松本人志評を、いつであったか?youtubeで聞いたとき、驚いたのはある世代まではものすごく人気があったのだな、と知ったからだ。でも、意外とそんなおじさん世代も、あまりその影響下にあるようにも見えなかったけど、ぼくの感覚が鈍いだけか。なんだろう?流行の賞味期限切れが非常に早いということか。それは資本主義がそうさせるのか?あるいは、科学技術の発展によるのか?そういうのがぼくにはさっぱりわからん。

 ともかく、問題をどう設定したらいいのかもわからないような状態。

 

 随分と当該論文と関係ないことを書いてしまったか?

 

 おおざっぱになにかをとりあえずカテゴライズするのは有効に思ったけど、まあ、「日常系」とか、「なろう系」みたいなカテゴリーにぼくは批判的なので、もうちょっと精緻にやってもいいのでは…とは思うが、そういっても、便利なのだろうから、これも難しい問題と思う。

 「解像度を上げる」みたいなことばが、まずもってよくわからん。

 

 やっぱ、ひろゆきさんの言動のどこに問題があるのか?そこが判然としない。著作に触れたことがないし、ツイッターもやってないし、(アニメ以外)テレビも見ないし。

 

 「冷笑系」というのはそんなに問題なのか?俗流社会論を展開すると、これもメディア現象でSNSで可視化しただけで、以前からそうだったのでは…というのは一定数、以前から「冷笑系」はいたのでは?と。

 

 あと、ひろゆきさんの言動よりも、ワクチン慎重派の言論を無視した、というか、陰謀論といっしょくたにしてやり込めたりするよーな問題のほうが重たい気がするな。戦争報道なんかも、かなり一方的であったし。言論空間の問題とするなら、むしろ、これらの問題のほうが、ぼくは気になる、といえば、気になる。が、社会というのはじっと見ていると疲れるので、目を逸らしがちですな。やっぱ、自分が「冷笑系」なせいか?「中二病」のほうが近い気がする。中二病冷笑系な側面があるのか。そういうことにしておこうか。

 関係ないことを思い出した。『おにまい』で「中二病」というセリフが出てきたけど、まひろがもみじに言っていたのか?でも、もみじは全然、中二病じゃない気がする。決めポーズをビシッとやるのが少々、中二病的という理解でいいのだろうか。

 

 ひろゆきさんの本も古典化するのかもですね。