忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

涼しくなったと思いきや

 ここ2、3日、もう夏も終わりか、とか思っていたら、全然、そんなことはなく、蒸し暑い。

 

 夏アニメ メモ

 『Engage Kiss』はしばらく見ていなかったら、お話についていけない。録画していない。ネトフリにあるのか。

 

 『よふかしのうた』と14歳問題。ぼくはもしかしたら、たぶん、おそらく、だいたい中二病(厨二病)なのかなという自覚はあるが、まさか、おっさんになっても、その感覚が消えないとは…と嘆息していたか?というとそれほどではないものの、おじいさんになってもそうなのか…と。でも、まあ、そういうもんか。

 『スパイファミリー』でアーニャをみていると幼稚園の頃の感覚もまだ残っているんだなとも思った。

 あ、14歳問題。ひろく人口に膾炙したのはいつごろなのか?『魔女の宅急便』か、それとも、エヴァ?まあ、なんでもいいか。

 14歳というと人はだれを思い浮かべるだろう。

 まあ、だれでもいいか。とりあえず、ぼくはシンジ君よりも先にキキを思い浮かべた。

 では、完全に失われた感覚や感性もあるのか?といえば、どーなのだろう。

 なーんか、ぼくは中二病というか、己のクソガキ性というか、半人前な感じは一生、消えないような気がする。ぼくが吉本のことが好きなのは、彼にもその自覚があったからかも?これを広く一般男性論として語るのは無理な気がする。男性性とクソガキ性とは別物だろう?いや、そうでもないか。どっちでもいいのか?そうでもないのか…

 

 中二病黒歴史。うむ。沈黙。閉口。辟易。鼻血ぶー。

 しかし、ぼくはかめはめ波の練習とかしたことはない。ギアスをこどものころ見ていたら、「命じる、なんたらー」ってやっていたかもだな。「生存戦略しましょーか」は今でも、ついつい口ずさみそうにはなる。あ、映画を見に行っていない。

 

 『リコリコ』9話まで見た。アラン機関とD2はまだよくわからない。

 あーでもちさとはやっぱクソガキなんだなとは思う。たきなもクソガキなのだろう。そこはとてもいい感じと思う。

 オリジナルアニメといえば、『白い砂のアクアトープ』のくくるもクソガキだった。そこがぼくは好きだった。くくるが好きということはない。

 あ、失われたものがあった。幼稚なままではあるけど、あのバカバカしいくらいの解放感?というか、自由さというか、そーいうのはどこかに消えたな。

 

 自転車に乗ったら、どこまでもいけるんじゃないか?みたいな根拠のない思いとか、もう持てない。

 やっぱ、『スーパーカブ』もいいアニメだった。

 また、見てみようか。序盤がとても好きだった。

 

 そういえば、事件があった。世間ではっもうその話題は消えたのか。日本社会においてどこかがおかしいとすれば、罰ゲーム感覚で送る日常的なものがこころを蝕んでいる感じかな…

 こどもなら、学校へ行きたくないとか、塾へ行きたくないとか、おとななら会社へ行きたくないとか…

 『よふかしのうた』は現代社会をうっすらと覆っている空気感が出ているとも思える。

 

 時代の空気に対抗するみたいな感覚はぼくにはないような気もするけど、もし、それをするなら、この社会を覆う罰ゲーム感みたいなものに別方向からつまらない感じで抗ってみようかしら?と。

 いや、これも、なにするべ?と。この日記をそれということにするか。

 ともかく、おもしろいというよりも、ぼくにはつまらないという方向性が気性に合っている気がする。

 つまらない日記を書く理由ということにしよう。

 

 なんか、さっき帰路で考えたことがあったはずだが…

 あ、周回遅れの議論をしようと思ったのだった。

 たぶん、今、世の中は自民党批判で充満しているのか?

 それ自体にはそこまで関心はない。自民党にそもそも関心ないが、なぜ自民党は自壊しなかったのか?には関心がある。運がよかったってだけかもしれないが。

 それとネオリベラリズムの意味合いの変化。

 ネオリベっていつから拝金主義みたいなことを意味するようになったのか?

 小さな政府の具体的なイメージ。郵便局はちょくちょく企画もの切手なんかでもうけたりするけど、それは民間でやったほうがいいというのがネオリベではないのか。

 官から民へというものと規制緩和というのはまったく別の話なのか。

 こういうのをちょっと自分で調べようと思ったのだった。

 

 自分用メモ

 ネオリベ批判がここ最近、岸田さんが新しい資本主義とか言い出したりして、加熱したけど、そのとき、ネオリベとはほとんど拝金主義だからダメみたいな感じにぼくには見えた。でも、ネオリベってそもそも拝金主義となんか関係あるのか?という疑問。

 その昔、小泉さんが自民党の救世主に結果的になってしまった時、小泉さんが主張していたことはネオリベ的なものではなかったのか?当時の印象では彼のことばから拝金主義っぽい香りは漂っていなかった気がするけど?で、いつからネオリベ=お金大好きになったの?みたいな疑問。格差が拡大したというのが問題なのか。するとお金が好きなこと自体は問題とはならないように思うけど、違うんだろか。

 

 今の話題に無理やりつなげると古い自民党の体質が残っていたというか、残していたということか。ネオリベ化しても、そういう部分は残るのか。それとも、自民党がそれほどネオリベ化しなかったということか。そんな気もしてきた。

 

 あと、ネオリベは反官僚主義みたいなところはあるのか。まあ、政府を小さくすることに一番反対するのは官僚か。

 それと自民党内の反財務省(大蔵省)勢力みたいなお話だとぼくはさっぱりわからん。というか、反財務省勢力というはいつからあるのか。バブルの後始末の失敗から財務省はあまり信用できないとなったのなら、まあ、それが普通な気がする。

 

 すごく、暇なときに調べてみようと思う。