忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

秋アニメを見終わった そのメモなど

 『水星の魔女』最終回をやっと見終わった。『リコリコ』の千束と異なり、スレッタは作中では「不殺」を宣言したわけではないので、違和感はない?ないか?あるかも。起業して、ミオリネが彼女の父に似ていったように、スレッタも母のような人間になっていくのか?スレッタの場合、自身の母への憎しみを示唆するような描写はなかったため、ミオリネと対比になっている、と言えるのか、どうか。

 スレッタとミオリネの違いといえば、スレッタは結果的に巻き込まれたとはいえ、パイロットとして戦うことに自覚的である。最後のミオリネのスレッタに対する反応はミオリネにはその自覚がないから、受け止めきれなくなっているように見えた。

 作劇上、過激な描写になっているが、なんといえばいいのか、この世界のどうしようもなさ、どうにもならなさにふたりはぶつかっちまったんだな?と。たぶん、ぼくのように凡庸に生きていても、そういう問題にぶつかるし…だれでも、世界の不条理にぶつかるように生まれてきているのか…眠くなってくる。

 Cパートの引きで、2期はどうスタートするのか?春アニメを待ちたい。

 

 老人集団自決について

 ぼくは成田さんという人を知ったのは最近の話だ。ひろゆきさんと出ているネット番組でその存在を知った。

 あ、昨日はネットの流行に疎い感じでいこうと言ったのに、もうそれを破ってしまったようだ。

 当該の発言については、ぼくは見たことも、聞いたこともない。なので、字面から判断する。

 発言した人がどう言っているのかは知らないが、「集団自決」は比喩であるという人は見かけた。疑問。比喩としての集団自決とはなに?単純に意味がわからんのだが。過度の「飲酒」を「緩慢なる自殺」というなら、なんとなくはわかる。これとは異なり、比喩としての「集団自決」はやっぱ意味がわからない。比喩と言っている人の説明を聞きたいと思った。

 それとも、あれか?自決というのは表舞台から消えるくらいの意味で使っているのか?それなら、わかるかも。でも、もし、そうなら、その「老人」とは老人一般を指すのではなく、それなりな社会的地位についた人に対する言明と受け取れば、よろしいのか?

 そうではなく、やっぱ老人一般なのか?

 とすると、この「老人集団自決」という文字列は特別な意味をなさないと感じる。自決が引退を意味するなら、成田さんに言われるまでもなく、世の中、そうなっているが、しかし、老人こそ貧富の差が激しく、働き続ける必要があることをお忘れではないか?と。今後はますますその傾向は強まり、定年は延長される気がするのだが、気のせいか。

 なんだろうな。

 こういう反論もクソつまらんよな。自分で書いた文章とはいえ、鬱陶しい。

 反省はしない。

 直截に申せば、「集団自決」ということばはどうしようもない現実に追い付いていない。ことばに現実が先行している。いかんともしがたい現実を受け止め、そこに踏みとどまった結果、出てきたことばであるようには見えない。そんなことばで吹き上がる社会とかなんなのだろう。幸い、おもしろがってくれる人がいてよかったですね、と思うだけだ。あれ?こういう社会に向き合うの、ぼくには無理そう。

 ぼくにとってはさっきも述べたように特別な意味をなさないことばに思える。だから、ことばとして、これっぽちも怖ろしさはない。強度のあることばに直面した気がしないのだ。であるので、この発言に怒る必要もないと思う。

 

 ちょっと脱線しちゃうけど、最近のプーチンさんのことばが日本のインテリさんの感情を逆なでしたのはなぜなのか?プーチンさんのいうことはちっとも正しそうには見えないけど、どうしようもない現実から出てきたことばとは思える。ことばだけでなく、行動も。そのどうしもなさに対する恐怖はぼくにもあるかも。

 

 特にまじめくさったことをいっているわけではない。たた、なんで大騒ぎしているのかがわからんというだけの話だ。

 

 ネットにはおバカしかいないのか?どうせ同じようにおバカをするなら、ぼくは別の方向に飛躍したい。ぼくも、どうしようもない現実に向き合うのは無理そうなので。

 

 ※四方八方に喧嘩を売っておくと

 日本のインテリさんの一部はリアリズムがなんたらといいながら、その実、リアリズムが大嫌いなのでは?とぼくは思っています。