忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

ふむふむ イマジンブレーカー考

 夏野さんという方のことばが話題になっていたのをさっき知った。もう世間では終わった話題なのだろう。よくある大衆批判だ。

 「大衆の原像」、つまり、ある種の理想の大衆の姿を念頭に置き、現実にはなかなか難しいが、自分もそうでありたいなと思うけれど、よくそのことを忘れている、そんなぼくがいうのもおこがましいが、「アホな国民感情」という見解には首肯できない。というのは、これが最終的な言い訳として控えていれば、なにかよくないことが起きるたびに持ち出される、魔法のことばとなるからだ。だから、よく、こういうことを言う人はいるのだ。便利なことばということになるのだろう。国民が悪いとか言っておけば、なんだか究極の原因を示したような気にはなれる。その点で夏野さんという人間が使うのに相応しいことばであるのだろうか?そこはよくわからん。ただし、夏野さんに限らず、国民感情はアホなものであって欲しいと願う人たちの思いを投影しただけのことばに見える。まあ、大衆社会批判を繰り返す人に対しては、ばかも休みやすみいってくれとおバカなことばを重ねたくなってくる。

 ぼくはバカかもしれない。しかし、そういうひとたちそういう口実を与えるためにやっているわけではない。そのことは是非、覚えておいて欲しい。って、ま…無理かな。

 ところで、このことばはアベマTVでの発言だったらしい。ぼくは実はこのサイトをたまに利用する。アニメ視聴に便利なのだ。録画するほどの関心はないが、見逃した場合に利用している。そして、そういえばニュースショーみたいなこともやっていたと思い出した。上記の発言はそんなニュースショーのひとこまであったのだろう。

 この手のニュースショーで露悪的なことばが使われることだとかを今更、指摘してもしかたない。が、それはそれとしても、こういう番組に対する自分の認識をすこしメモとして残しておこう。

 そもそもニュースショーというのは建前で実際には視聴者参加型空気情勢醸成ゲームなのだ。数々のパネリストの中で、だれが優等生然とした「正解らしき」ことを言っているのか?そこを番組出演者含め、視聴者も一緒になって、みんなで空気を読み合う。そして、空気醸成によって形成された支配的なそれに与したものが最終的なこのゲームの勝者となる。大雑把な番組説明としてはこれでいいのではないか。

 が、実際には「正解らしき」言説に与すれば必ず勝てるとも限らない。優等生的言説が敗れる。番狂わせもあるのだ。そこは要注意である。ぼくはそこまでテレビ文化に詳しいわけではないので、一体どういうからくりで勝つことになるのかは判然としないが、当初の不利な情勢をひっくりかえす場合もあるのだ。露悪的な口調で聴衆のこころをつかむとか、おもしろい屁理屈で聴衆をうならせるとか、そこには高度なしゃべりの技術が裏打ちとしてあるのだろう。(これは嫌味ではないです。)

 とか書いて、なんだが、ぼくはそういえば勝ち負けにはだいたい興味がない。

 それでも、ひとつだけ気になっていることがある。それは問題解決提案型屁理屈について。そういえば、最近、ツイッターなのだろうか?「忘却」が云々もそれだ。ことばの理屈としては成り立っていそうでも、実現性度外視なものという規定でいいだろうか。まあ、そういうことをしゃべる人がいるわけだ。

 そのたびに頭をよぎるのは「問題が解決することなどありうるのだろうか?」という疑問。

 一方で、「忘却」でも、「問題解決」でも、ある意味それは達成されるだろうとも、確かに思う。なぜか?それは人には永遠の命というものが存在しないからだ。例えば、ぼくの記憶も、問題も、ぼくが死に、意識が消え去れば、おそらく、消えてしまうのだろう。その状態を「忘却」とか「問題解決」と言えるのなら、そうなのだろうというすごく消極的な意味合いではある。

 しかし、ここでは但し書きが必要だ。民族の、あるいは、国民の記憶とかになるとそうはいかなくなる。そんな共同幻想を思想的に解体してやる、とは思わない。解体は無理なのだろうと。この感覚は小林秀雄のいう「歴史の必然」への諦観に近いのだろうか?どうでもいいことだか、小林秀雄の色気はこういう部分にあるのかと勘違いしそうになって、われながら困るな。

 「アホな国民感情」ってのは「愚かなる日本の私」なのか?まあどっちにしろよくわからんな。

 それと忘却といえば、羽川翼を思い出す。世にある数々の失恋の中でも彼女のものはとくに好きだ。自我を燃やすしかないのか?それは忘却なのか?

 また、書いているうちに脱線してしまった。まあ、いいや。

 とりあえず、ニュースショーは視聴者参加型空気醸成ゲーム番組ということをいいたかっただけだ。処世術を学べるのだ。まあ、そんな番組ばっかりなのだ。というのが、ぼくのテレビに対する認識で、ここ10年くらいそのイメージで固定されているのだが、今は違うのだろうか?

 自分がツイッターをやらないから知らないだけで、今の空気醸成ゲームの主戦場はテレビではなくツイッター

 

 追記

 当該ケースは番組内では勝者であっても、SNSなど、場外乱闘では敗者というレアケース?

 

 

 アニメの感想を書く予定が前置きが長くなってしまった。

 今日はまだ時間もたくさんあるし、散歩、夕飯のあとにそっちは書こうかな。