秋アニメ メモ
『ぼっち・ざ・ろっく』10話まで見た。
陰キャ描写はネット時代のノリを参照していると当初、思ったが、これは誤解だったような気がする。この作品に今っぽさを感じるとしたら、有名になることへの距離感のようなものか。
『けいおん!』という作品には有名になるというような要素がなかった。牧歌的とか、健全と形容するつもりはない。ただ、ぼくはそのような作品に自然さを感じる。だらだらやっている間に青春は終わっていたという感じに自然さを感じる。
もしかしら、今の若い人には『けいおん!』の雰囲気は不自然であるのか?間の抜けた凡庸な青春はもう今ではなくなってしまったのか?というのも大げさで、たぶん、普通にあるのだろう。
後藤ひとりの思う浮かべる有名になってしまったら、どーしよー!???みたいな悩みを今どきの若者は身近な悩みとして理解しいるのだろうか?
こんなことをぼんやりと考えていると、今の若者がぼくにとって到底、理解の及ばない生き物な気がしてくる。時代に取り残されているというのはあるのかもしれないが、その実感はない。
ここからさらに話題のインフルエンサーなどに言及しつつ、おじさん構文を炸裂させ、なにかを語るつもりもない。ただ、たぶん?、もしかして、今の若者にとってインフルエンサーと呼ばれるような人はごく身近な存在であったり、するのだろうか?とは思ったり、思わなかったり。
ぼくには全くない感覚だ。
原作者は今の時代というものを鋭敏に感じ取れる人なのか、とも思った。現代の若者の賢さ?強度?どういうことばがいいのかはわからんけど、そういうものがこの作品にはあらわれているのかもしれない。