忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

冬の雨の中

 散歩するのは止めようと思った。風邪をひきそうだ。傘を持っていけばいいのか。

 

 今日は納豆がおいしかった。たまにとても食べたくなる。

 

 ニュースを見ていないので、救済法案成立も知らなかった。中身は確認したが、本当にこれでいいのか。マインドコントロール云々の部分。

 防衛費、増額。人口が減っていく中で、増額は可能なのか。また、その人口減に関連して、増やしたものを維持していくのは可能なのか?財源の問題だけでなく、人的資源の問題としても。いろいろとよくわからない。あと、一度、増やす方向に舵を切れば、そのまま延々と増やし続けることになるのだろうか。これも、よくわからない。しかし、実現可能性を考慮していないというのはさすがにないか。

 防衛省による世論形成?まあ、批判が高まりそうな話題ではある。なにから書き始めればいいのか?

 今でも?、これまでも、ずっと?研究の成果か、どうかは知らないが、これに近いことはやっているよね。記事化しているニュースは官庁が情報を出す/出さないを川上でコントロールした結果、出てきたものであったり、観測発言を記事化してみたり、いろいろとやっているような。

 ただ、この共同のニュースはスクープなのだろうから、日々の取材の中でチェック機能が発揮された事例なのかと思う。脱線しちゃうけど、新興のネットメディアは、こういうチェック機能を中央についてはともかく、地方自治体まで効かすことは人数の問題で、できないのでは…、と思っている。あれ?共同のスクープではない?共同の記事を引いている人がおおいので、そう思った。まあ、いいや。ジャーナリズムの根幹は座談会の企画立案、および、実施ではないと思う。

 なんだろう。現状認識として、新聞が読まれなくなっているから、SNS、特に、インフルエンサー防衛省は期待しているのか?

 うーん。

 近年、というか、ここ最近の状況を考慮するとなんとも言えん。

 宇露戦争時、正義の大合唱があったような…防衛省が工作するまでもなく…というのは語弊があるな。ウクライナの言語政策に言及したり、アメリカの支援に疑義を唱えるのに戸惑うくらいの言論環境だったと思うけど。もしかして、アメリカ国民よりも日本の一般人のほうがバイデンさんを信用しているのでは?と思えるくらいの感じだった。

 あと、mRNAワクチンのときも、同様かと思う。厚生省が工作するまでもなく…と書くと、これまた、語弊があるか。しかし、今でも、見かけるが、反ワクチンに慎重派を含め、批判するやり口は汚い。明後日方向にぶっ飛んだ陰謀論的な反ワクチン言説をやり玉に挙げるやり方は汚い。科学的見地から疑義を唱えている人を無視する。でも、この種の批判はきっと自発的になされているのだろう。また、これについてはインフルエンサーに限らないようにも思うが、でも、インフルエンサーの影響を受けた人たちなのか、どうか?ぼくにはよくわからん。

 マスクと反マスクのときは、正義と正義のぶつかり合いで、目頭が熱くなってきて、あくびが出た。突然の睡魔というやつか。

 まあ、これらのことについては一旦、ほっておこう。

 疑問。①大メディアにあるチェック機能はインフルエンサー個人となるとどーなんだろ?

 ②政府に近いと推測される人物の発言はこれまで以上に主に左派からチェックされるようになるのか。なんというか、相互監視的な?官僚組織がその相互監視を指嗾するの?という問題。日本人は相互監視が好きそうだから、いいよね!とはならないよーな。

 みなさま、頑張ってください。

 ぼくは眠くなってきたので、『ぼっち・ざ・ろっく!』を見て寝る。

 

 『水星の魔女』はスレッタのやりたいことシリーズはちょっとあざとい気がするけど、お話としては大きなうねりが生まれそうな感じで、楽しい。アーシアンも一枚岩ではないのだろう。スペーシアンも水星と木星で反目しているとか、あるのだろうか。

 先を予想しても仕方ないが、互いに笑顔でいられる関係がいつまで続くのか?というのは気なる。だれしもが経験する、あの頃はなぜあんな笑顔ができたのか?

 関係は恋愛によって壊れるのか?戦争によって壊れるのか?それらがからまって壊れるのか?なぜ、ぼくは関係が壊れる前提で、勝手にお話をすすめているのか。