秋アニメ メモなど
『DIY』はお話はもうよくわからない。のに、おもしろい。
しかし、気にならないところがないわけではない。DIY部顧問の先生がやや唐突に文明論に思い出を添えてなお話を始めたあたりで、おいおいと思ったが、ジョブ子のツッコミが入り、そうなるよなと納得した。なにに納得したかはよくわからない。あのまま、先生がお話を続けたら、興がそがれる、そのことだけははっきりしている。というのは言い過ぎか。
あと、歩きながら、もの思いにふけるは危ないとは思うけど。
『マブラヴオルタ』は原作においてはどのくらいまで進んでいるのか。今、すごくもりあがっているところな気がするのだけど、気のせいなのか。この話はなんで日本はアメリカと戦争をしていないのだろう。あまり気にしてはいけないことなのか。
あ、『ストパン』は謎の地球外生命体の登場で、ということだったが、『マブラヴ』もそうなのか。BETAの存在。
あと、これはこの作品に限ったことではないが、ノベルゲー原作のアニメ化の際、分岐するストーリーをどのように扱っているのか。『マブラヴ』ではメタ視点をアニメでとっているような感じもしたのだけど、それもまた、実は原作内では分岐ストーリーのひとつであったりするのか?など、ともかく、原作未読なぼくにはよくわからない点がある。メタ視点を作者、あるいは、読者の視点ではなく、作品内でそれを示唆し、物語を展開するとは、つまるところ、どーいうことなの?という疑問。
すごくどーでもいいことを思い出した。テレビの中にいるドラえもんとのび太を見ているドラえもんとのび太を見ているドラえもんとのび太を見ている…以下略。で、一番最後にこれを見ているのはぼくということになるのか?といようなことをこどものころに思った。こういうことを考えるには今のぼくの頭は固くなりすぎていて、できそうもない。他にはどんなことを考えていたのか。まあ、いいや。こどものころに考えていたことを正確に思い出すこともできないし、失われたものは、もうないというだけのことかと思う。
作品の話に戻ると、戦況の全体把握は地図上に図示されているのでよくわかる。
『かげ実』9話まで見た。いわゆるシリアス回ということになると思う。で、10話はというか、10話以降はこの路線のまま行くのか、どうか?がわたし、とても気なります!
それにしても、おもしろい。おバカギャグアニメの中でも、根っこの価値観はひどくまじめな作品が多い中でも、この作品はちょっとそういうのとは様子が違う。
なので、カゲノーが生きる中でそぎ落としていって最後に残ったもの、自分にとって失いたくないものはなにか?は気になる。しかし、明示される必要もないか。想像の余地。
カゲノーとキリト
キリトはなぜいつも深刻そうなのか?深刻な顔つきで深刻なことを深刻な口調で語りそうなイメージ。人気の秘訣でもある。
カゲノーは深刻なことでも、そう見えないように振舞える?この違い?
カズマには深刻ということばが通じない気がする。
上条さんはちょっとキリトとも違うような。上条さんのほうが明るいのか。記憶をなくしているのに、しれっと憶えているフリができるあたり。明るいとも違うけど、人気の秘訣はそこらへんだろう。
『BLEACH』世代としてはちょっと懐かしすぎて…でも、結構な数の読者がこの作品をギャグとしても、受容していたはずで、『テニスの王子様』も、そうだったな、と思い出す。いずれにしろ、見ると忘れていたものを思い出す。内容だけでなく、当時の記憶など。自分の頭の中では何が起きているのか。ともかく、『BLEACH』や『テニスの王子様』をギャグとして読むクソガキだった。鼻血ブーな記憶。鼻血ブーな記憶として刻まれるに至る経緯としては『グラスリップ』との出会いかと思う。まあ、『グラスリップ』も爆笑しながら見ていたといえば、そうなるのだが…
進駐軍文化についてなど
蓮實さんのエッセイがネットで読めることを知って以来、読んでいる。
オリンピックはやりたい人が集まって、勝手にやればいいという主旨のお話など、その通りだなと思ったが、さっき読んだのは、コーヒーに関するお話だった。表記もならって、「珈琲」とすべきであろうか。
ジャズ、コーヒー、ハーシーズ
ぼくはいろいろとものを知らない。上記、三つの中ではコーヒーとハーシーズは好きだ。ゴディヴァのチョコをプレゼントとして、もらった記憶は特にないのだが、ご相伴に預かった限りでは、ハーシーズのような粉っぽい感じがなく、あまりおいしいとは思えなかった。とはいえ、ハーシーズを口に含み、進駐軍の味がするみたいな気はもちろん、しない。
準チョコという表記をこどものころに発見し、世紀の発見をしたような気なり、チョコバットを食べていた。準チョコはアポロとかも、そうなのだろうか。違ったようだ。
そういえば、今日、駅前でコーヒーの香りがした。フードカー?というのだろうか。ともかく、それらしきものが駅前でコーヒーの販売を始めたようだ。今度、飲んでみようと思う。なお、ぼくは無糖でしか飲まない、と書いてすごくどーでもいいことを思い出した。無糖の缶コーヒーを飲んでいると、知人が無糖の缶コーヒーって泥水の味がしませんか?と片手に微糖を持ちながら話しかけてきた。なんて、答えたのか?は忘れた。泥水は飲んだことがないので…とでも答えたか。あるいは、泥水はどんな味がするのか?と聞き返したのか。ただ、無言で会釈を返したのか?
蓮實さんの文章を読んでいても、不思議なのは記憶というもので、実におもしろいと思う。
映像、文章に触れてよみがえる記憶。さっき読んでいて思い出したのは祖母との記憶だ。真夏に外で遊んで帰ってきて出してくれた茶色の液体を飲んで、本当に驚いた。麦茶だと思って飲んだら、コーラだったので。あれ?逆か?いやでも、麦茶だと思ってコーラのほうが驚き度が高そうなので、この記憶のままでいいか。
夏のクソ暑い日に麦茶に見立てて、そばつゆを出すみたいないたずらをしていけませんよ!のどかわきまくり。
あるいは、近所のおばあさんに頂いたちょっと濃い目のカルピスの味も思い出した。ペットボトルで売っているカルピスウォーターが薄口であるのに対し、明らかに濃口でおいしかった。それでカルピスの原液の存在を知った。そういえば、これもすごい発見のように当時は思っていたのだろうか。そこまでは憶えていない。
それと、今すぐとか、来年とかいうお話ではなく、いつの日か。変わりゆく東京が映像化するのを視聴者として楽しみに待ちたい。
1964以前の東京を思わせる映画は押井守さんが残したということにぼくの中ではなっているが、とくに古い東京の映像が作中になくても、1964以前の東京を思わせることはできるのだろう。1964(以前)の東京を見たことがないぼくなどはとても楽しかった。
これも、蓮實さんの文章を読んで思い出したのか。
なんで、突然、こんなことを書きだしたのか?といえば、なんか今日、柄谷行人さんが話題になっていたので?みたいな?
世相に半分のってみる的な?みたいな?
先日、ボツにしたおやじギャグ。
羊羹をよー噛んで食べる。健康習慣?健康週間みたいなノリだな、と思い。
羊羹を洋館で食べる?意味わからん。