忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

「ワクワクキャンペーン」よりもワクワクすること、いや、そうでもないか?など

 ①楽しい?陰謀論のつくられ方 埋蔵金

 コロナ禍で16兆円が使途不明らしい。

 なるほど、こうやって陰謀論は生まれるのか。

 400年後の人がエンタメに昇華してくれることに期待しましょう。

 

 ワクワクキャンペーン、使途不明の16兆円、それになにかもうひとつくらい点がないと、点と点をつなぎ、ひとつの像を結ぶに至らない気もするが、よくわからん。どうせなら、もっと夢のある陰謀論がいいのかも。

 ここ掘れ、ワンワンで、タイムカプセルから福澤先生がこんにちは、というのはあんまし夢もないし、美しくもない。

 

 ②「ポリコレ」について

 行き過ぎると変質する臨界の見極め?

 あまり関心ないのでわからん。というわけでもない。

 

 ③既視感について、あるいは、時間遡行について

 繰り返すというのは転生なのか?

 自分の感覚なのに、あまりそんな気がしないという場合?その場合は既視感は自分のものではない。じゃあ、だれの?人類の?

 というか、自分が経験したことないのに、類推によってわかるみたいなレベルじゃないくらいにわかっちゃう時がある。これはなんだ?つーか、がきんちょのころはそれの連続だったのだろう。小学校初登校で、こんなところに毎日来るのか、えらいところに連れてこられちゃった、と不安になるみたいなの。

 『処刑少女の生きる道』はどうもいろいろと気になる描写がある。とはいえ、ぼくは本作のもっと別のベタなところのほうが好きだが。

 

 『色づく世界の明日から』もこの意味でおもしろい描写があった。ふっと意識が飛んで、我に返るみたいな様子を時間の狭間?に飛ばされるみたいに描写していた記憶。

 

 日常にある不思議な感覚というのは珍しいもんではないだろうけど、おもしろい。

 

 アニメは絵で見れるのでおもしろい。科学で謎が解明されても、絵でいかに表現するか?みたいな正解のない課題は残り続ける、と思う。

 

 ※時間感覚について

 時間遡行などの表現に限らず、日常生活の中でも、それこそ、動画の再生において、早送り、早戻しが可能になり、時間を行ったり、来たりできるようにようになって、時間感覚は変わったのか?変わったとおもうが…

 ただ、行ったり、来たりしているという感覚をなにが支えているのか?

 一方向に流れ続けるという大前提がそれを以前にもまして、強烈に支えていることになりはしないか。そうでないと前後関係の判断がつかなくなり、行ったり、来たりという感覚自体が存在しえない。とすれば、物理的時間感覚の強化?も時間感覚の変化と見てよいのか。

 記憶、回顧の問題はまた別の話か。自意識の介在、そのあり様の違い?