記録 メモなど
プーチン演説について
内容への論評をするつもりはない。ただし、事前の情報との懸隔はなにを意味するのか?
「空気の支配」というものはぼくが感じる限りでは、圧としてのしかかってくるというよりも、脱力効果をもたらすものに思える。これはぼくがそもそも脱力しがちであるからかも。
この間、吉本だったら、なんといっただろう、と考えたくなる時もあるのだけど、それはしないように心掛けている。特に、理由はない。
ゼレンスキー演説はまだ見ていない。
アニメはクソ方向に突き抜けていくとそれは傑作になりうるが、報道がいくらクソ方向に流れていっても、無感動だ。
アニメ『憂国のモリアーティ』を見た。
リアルタイムでは最後の2話分だけ見て、感動していたが、全て見ると全く印象が変わった。クソ社会から生まれざるをえない必要悪(と作品内ではいわれているが、必然悪という見方もできそうに思う。)が主題だった。
で、感動はしたことに偽りはないものの、それでも、ぼくは嫌われ役を買って出る人を生み出してしまう社会も、その必然悪を消し去り、実現した多少は美しい社会もなにか根本的に間違っていると思う。
という考えで止まっている。吉本の「造悪論」に対抗するというほど、対抗意識を燃やしてはいないが、そんでも、この問題は考えて続けてみよう。忘れようとしたって、そもそも無理だし。なぜ?って、世界にそういう問題が繰り返し、浮上するから。意識的に目を背けるでもしない限り、どーしたってぼくの頭をかすめる。
この3兄弟もある秘密を共有した疑似家族であったとは、知らなかった。(なので、序盤のいきさつは重要。)
というか、この疑似家族は結社のようにも見える。
完全に見た目の話になるが、長兄の不敵な笑みは不気味でいい。イケメンパラダイスだった。別に見た目の話ではなかったかもだ。
今日はさっさと寝る。
あ、音読を試してみたら、頭に入ってこないというよりも、恥ずかしくなってやめた。イケボを出す練習から始めないとだめかもだな。