忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

メモ

 「大衆の原像」という文字列を今日、見た。発信源はどこかは知らない。また、たどる気もない。

 吉本の考え方は今でも通用すると思っている。だいたい、今でも多くの人は生活に忙殺されている。細かいお金のやりくりだとか、仕事だとか、子育てだとか、学校の勉強だとか、その日その日ごとの生活に忙しい。ふとした瞬間に我に返り、吉本がいう「近代知識人の孤独」におそわれることが「大衆」にもあるかもしれない。それを指して「自意識の営み」としているのだろうか。

 ぼくも吉本の考えに限界があるとすれば、「近代知識人の孤独」の大衆化と以前、考えていた。けれど、それって生活の中でうやむやになる。おなかが空いてごはんを食べていると解決はしないけど、先延ばしにはされ、それの繰り返しみたいな感じ。で、いつのまにか、ぼくもおっさんになり、そのうち…先のことは見当もつかないけれど、なにもわからんまま、はっきりしないまま、そのうち…

 ところで、吉本は戦後、「お前は何をしてきたんだ?」と問われれば、こう答えるみたいな話をしていた。今、ここでその答えを書かないが、たいしたものだと思った。吉本からすれば、孤独感がうやむやのままに時間切れが訪れることはあまりにも自明なことだったのではないだろうか。(往相と還相)

 そういうお話よりも吉本が残した課題は「造悪論」のほうだったのではないか。20代の頃はこのお話をスルーしたインテリたちにぼくも反感を持ったが、今では、むしろスルーしたのもわかる気がする。まあ、ぼくはちんたら暇をみつけて考えてみる。

 

 

 冬アニメのメモ

 『平家物語』おもしろい。

 「おもしろくない」と言ってくれる重盛がいなくなってしまった。

 今後は「おもしろい」政治の顛末が描かれるのか。

 主人公のびわについては自分なりの解釈を示したい。

 

 今日は納豆ご飯をひさびさに食べた。ひさびさだからか、すごくおいしかった。