忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

冬アニメ メモ、先日の補足

 再度見てから書こうと思っていたけど、時間がないので、メモ。

 たぶん、見直したときにはこのことを忘れとる。

 

 『時光代理人』5話のCパートの謎

 依頼人→キャプテン

 依頼人→キャプテンの妹

 依頼人依頼人の母

 4話時点ではたぶんというか、あからさまな演出意図があって、依頼人の音声をカットしていた。

 5話のCパートでは依頼人の音声が足されていたが、疑問点。

 セリフなのか?モノローグなのか?

 声の主は依頼人なのか?トキなのか?

 ぼくの解釈はおっさんになった時点での依頼人のモノローグ。

 依頼人の母の音声は当時を思い出した依頼人の脳内再生。

 自然災害によって亡くなっているのはキャプテンを含めたバスケ部の面々、それに依頼人の母。

 キャプテンの妹はたぶん生きている。あの後都会にいって、どこかで元気にしているのだろう。

 こういう解釈になると思う。しかし、ちゃんとあそこの場面を聞きなおしてみないとわからんか。まあ、なので、自然災害があってもなくても、キャプテンの妹と依頼人は一緒にはならないと思った。

 

 ※中国版を確認出来たら、それが手っ取り早いけど、どこで見れるんだ?あと、ぼくは中国語ができない。困った。

 

 

 先日の「大衆の原像」に関する話はすこしことばが足りなかった。

 生活が豊かなっても生活に忙殺されることには変わりないので「大衆の原像」は古びていないと考えている。まあ、大した話ではない。

 以前にも確かこの日記に書いた論点として、吉本はそれを「あえて」仮構したとぼくも思っている。

 ただ、この「あえて」やることについては様々な解釈の余地があろう。

 適当なおもいつきを書き連ねていくと、あえて知識人ではなく、大衆の立場で彼はものを考えたとか、知識人でもなく、大衆でもなく、大衆の原像というものがあるとして彼はものを考えたとか…ぼくにはこのくらいしか思いつかないけれど、そこはまあ、なんでもいいんじゃないの?となる。

 大事なところは吉本による補正がはいる点ではないだろうか。ある種の理想形が想定されている。理想的大衆とでもいえばいいのだろうか。善良という含みはないだろう。

 そんでも、やっぱりこの話よりも、ぼくは「造悪論」のほうについて考えてみたい。当時のスルーは今でもおかしいと思っているし、戯画化してやりすごそうって態度もおかしいと思う。先日書いたことと正反対なことを言っているかもだが、そう思うのだから仕方ない。