忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

たまにはと思い、過去の日記を読み返した アニメの感想

 昨日、『憂国のモリアーティ』の感想を書いたが、過去にも書いた記憶があったので、それを見直してから、あらためて書くことにした。というのは、昨日は別のニュースのことで少々、イラっとしながらかいたので、消してしまったのだ。というのもなんなので…

 

 それにぼくはこの作品のどこに感動したのかは書かなかった。それにも一応、それなりな理由があるのだが、忘れちゃうのも嫌なので残しておこうと思った。

 

 感動したのは

 やっぱり最後の二人の対決の場面。

 いろいろとすっ飛ばして、雑に結論を述べれば、目の前に広がるクソ社会が美しくなろうが、どうなろうが知ったことではない、そんなことよりも今、互いに目の前に立つひとりの人間の手を取りあえるか、という点に感動した。(野暮を承知で少しだけ。この必殺技は大事な面で使うものであって、そう何度もできることではないのだろう。)

 日常でこういう場面にぼくが遭遇するかはわからないし、実際、ぼくにそんなことができるかもわからん。

 でも、感動しちゃうな。

 で、これは実は『共同幻想論』のコアのメッセージであったと思う。そんなことはどこにも書いてないというかもしれないけど、穴が空かない程度に読むと書いてあるんだよ!(嘘、というのは彼の詩を読んでそう思っただけなので…)

 ぼくが書くと、文章が拙いから、通俗的に響いてしまうんだよね。それでも構わないといえば、そうかもだが、「文学の初源性」の問題でもあると思う。だれが見てもたぶん、感動しちゃう問題に付随して、いくらでも通俗化する問題。吉本の文体はストレートに描くと恥ずかしいから、ああなったという点はあると思うのだった。そういうわけで昨日は省いた。

 

 たまーにこういう作品が出てくるのはなにかサイクルとかあるのだろうか。

 例は挙げないが、面倒なので、どれもこれもすべておもしろい。

 本作は歴史要素もおもしろい。