冬アニメ メモなど
『佐々木と宮野』と『明日ちゃんのセーラー服』はぼけーと見てる。おもしろい。
『佐々木と宮野』
宮野は発情しない人なのだろうか。恋愛をしたら発情しなければいけないという世界ルールがあるわけでもない。
しかし、発情した様子が描かれなくても、恋愛というものは一般的に言って気持ちが悪いという感覚はこちらにも漏れ伝わってくる。この点では異性愛も、同性愛も変わるところがないであろう。だれかに夢中になる気持ちの悪さ、自分がすこしおかしくなってしまった感じの描かれ方は本作はちょと爽やかすぎかもしれない。
あと、よくわからないのが、佐々木先輩のちょい不良気味という感じ。最近の高校生を街でそれとなく観察する限りでは、見た目に不良気味がどうか、よくわからない。佐々木先輩みたいな人にもしかしたらぼくは会ったことがないのかもだ。自分が高校の時を含めて。よくわからん。
渋谷と原宿間を歩いて往復すれば、その手の高校生を発見できるのだろうか。
『明日ちゃんのセーラー服』
明日ちゃんは周りの子よりも幼いのだろう。同級生がいなかったからか。
しかし、声色でだれかのまねっこしちゃうみたいなのはおもしろい。ああいうのはなんなのだろう。ペットボトルのキャップで炭酸飲料をちびちびやるのが、中学生のころ一時的に流行ったが、というほど流行っていないが、なんかじーさまな素振りでやっていたりした。あれ?明日ちゃんはそれほど幼いわけではなく、平均的な中学生かもしれない。
この作品で目下、気になる点はなぜ明日はアイドルのファンになったのか。アイドルのファンになったことがないのでわからん。
『女子高生の無駄づかい』はなぜ友達になったのかも、なぜ友達関係が続いてるのかも、わからんみたいなところがとても好きだったが、本作はどうもそういう話ではなさげ。わからん。
ブロガーさんのラジオを聞いて
西郷輝彦さんは時代劇の役者さんというぼんやりとしたイメージがあったが、アイドルだったとは知らなかった。「西郷」という芸名は鹿児島出身によることも今日、知った。うーむ。西郷隆盛をなぜ日本人は好きなのか?という問題は大問題だと思う。カバーする領域は異なるが、上皇を慕う国民の気持ちに匹敵するもの(それ以上か)があると感じる。
江藤淳の『小林秀雄』はまったくおもしろくなかったのに、『南洲残影』はおもしろかった記憶がある。あれ?逆だったか…まあ、いいや。
AKBというのは平成なのだろうか。アイドルと聞くとぼくの場合はジャニーズを思い浮かべる。
あと、学校とか、大学は老先生の雑談がおもしろかったのを思い出した。(ぼくが小学生の頃の先生は50代のはずで、老先生は失礼だったかも。)
ばーさんのお話もおもしろかったな。そういえば、ばーさんは床屋政談が好きだったけど、石破さんをほめたその口で志位さんをほめていたな。そのことにぼくはとくに違和感はなかった。(当時の石破さんはたぶん、今と違って超タカ派という世間的なイメージだったように思う。)
関係ないことを思い出した。
『時光代理人』のテーマからかなりずれてしまうけれど、奇妙な感覚、違和感を伴う記憶について。この違和感は常に悪いものばかりではない。なんだ、これ、すげーみたいな違和感もあるし、完全に意味不明みたいな違和感もある。こういうものは記憶に残りやすいから、大事な気がするだけなのだろうか。
『明日ちゃんのセーラー服』は良い意味での違和感を描いているのだろうか。そんな気がしてきた。明日ちゃんに感じる違和だけでなく、他の登場人物にも同じように違和がある?
※江藤淳のせいではないかも。ぼくが西郷のほうが好きなのだろう。