忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

青春期のあれこれとか書いていたら、思い出したぜ

 なんだっけ?『伊勢物語』に「成長」要素はないぜみたいなツッコミを見かけた。そうなのだろうけれど、事態はいや、時代はより深刻で、いちいちその種をツッコミを入れても間に合わないくらいに、なんにでも「成長」を見出すようになってしまった。そういう状態なのではないだろうか。経年変化をなんでもかんでも「成長」というひとことで片付け、よきこととして理解する。物語から時間の経過という物理法則を抜くことは難しいのだろうし。すこし脱線。ともかく、「成長」が描けているとか、描けていないとか、よくそんな評言を目にするのはそのためだ。

 そういえば、『桃太郎』を道徳の教材にしているのも見かけた。

 こういうのはなにか大きな流れの表出の一つひとつな気もしなくはないけど、そういうものの見方自体があやしいものとも思う。

 でもな。なんだか窮屈すぎやしませんか、とぼやいてみたくもなる。

 「なろう系」ではクズマさんはその一点において輝き続けるような気がしなくもない。(アニメ化以降の流れは知らないから、これも勘違いである可能性あり。)クズマさんは反動的にクズをやっているわけではなく、根っからのクズで成長「できない」とこが魅力だと思うけどな…わからん。(反動ではない点は非常に大事な気がする。)

 『蜘蛛ですが、なにか?』もそうかも。でも、本作を成長物語と主張する人がいるとするなら、感動するかも。そういう人の感想はまじめに聞きたい。

 

 『やが君』でも成長物語とか言われたら(というか、数年前、たしか、そういう感想を某巨大掲示板で見た気がするけど、当時はあまり気にならなかった。)、違うよって多分、今なら答える。何者かになるってそういうことじゃないでしょ…