忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

野暮とは知りつつ

 昨日の金曜ロードショー?は『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』だったのかしら?

 本作と『ランボー』との比較。主人公である帰還兵が社会になじめない、で、その後、片方はうまくいき、もう一方はどつぼったみたいな見立てなのだろうか。

 あえてつっこむと両作の主題は異なる。『ランボー』は畢竟、ベトナム戦争とはなんであったのか?という問い、そこから敷衍して、戦争とはなにか?という問いを見るものに突きつける。また、同時代の数々のベトナム戦争もの映画という作品群のひとつであったのでは?そして、その系譜はぼくは見ていないが、イーストウッドの『アメリカン・スナイパー』に至る?

 一方で、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は人の気持ち(こころ)がわからない人が手紙を書くことを通して、それを知る物語、もっとつっこんで言い切ってしまうと愛を知る物語なのでは。戦争が主題ではない。

 主題の異なるものを比較して、どーするの!??

 両作をもっと大雑把に解釈して人間とは何かという作品だとか、いいだすと人の作り出す物語はたいてい、その問いを内包するため、もうちょいちゃんと限定しろやと思えてくる。

 ああ、脱線。

 なので、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』が戦争を描けていないとか、戦後社会の様子を描けていないとか、いうのはちょっと厳しいのではないかしら?

 ぼくはそういうところよりも、別の点が本作では気になった。まあ、あれなのだ。こころのリトマス試験紙みたいな感じ?そりゃあ、ぼくだって本作を見れば、心が動く。でもなんだか、こういう作品で多くの人が同時に感動する情景って不気味と思わんでもない。人のこころの柔らかな部分をくすぐるのが、うますぎるのも…

 以上はほめことばでもありますよ。まあ、難しいもんです。

 

 それで書いていて思い出したのは、これまた、主題としてはズレているわけだが、小津作品。戦後社会の描き方とか、全然、知らないので、ぼくにはおもしろかった。加東大介だったか?飲み屋で軍歌を合唱?するシーンとか。こういうシーンに小津の戦後社会観を見いだしていいのか、正直、わからん。ただ、どことなく、戦後になじめないおじさんたちが呑んで、軍歌をうたい、束の間の楽しみを得る感じはしんみりとしたよさがある、と思った。とはいえ、小津映画を見た記憶自体、だいぶ前のものなのであやしいもんだ。この記憶があるから、そういう世代でもないのに、軍歌を肩をくんで、うたっている人を見ると複雑な気分なになるかも。でも、まあ、みんな自分の好きな歌をうたえばいいのだと思う。ぼくは音痴だが、隣りの子が泣きだしたくらい、それでも歌うことは好きだな。

 

 ※当時、共通に知っている歌が軍歌しかなかったということなのだろうか?だとすれば、それではそれでややこしいお話と思う。『夏の思い出』とか、1949年なのか。知らなかった。(この歌が好きというよりも、たしか、ぼくの音程につられるみたいなことをいって、泣きだしたのが、この歌だったので思い出した。ちがうか?校歌かも。)

 

 ぼくは野暮な人間なので、ネットのちょっとしたネタにもバンバン真顔でツッコミをいれていきますよ。(半分嘘)