忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

10巻の感想

 『安達としまむら』10巻の感想

 

 恋愛小説として、恋愛以外小説として、このふたつの側面があると10巻でわかった。すこし、違うかも。青春恋愛小説の枠からはみ出した領域まで手の届いた作品と一応、仮定してみる。

 

 先日、すでに述べた話との重複を避けるため、安達の巣立ち、島村と樽見の別れに関しては今日の感想では触れない。あ、島村と樽見の場面の挿絵について、すこしだけ。5巻、10巻のスケッチの場面の挿絵を確認した、両方いいなと思った。でも、きっと樽見の描いた島村はもっと美しいのだろう。だから、樽見は安達にひとつだけ確実に勝っている部分がある。勝ち負けなんて、どうでもいいことかもしれないが、樽見はおそらく島村を世界で一番美しく描けるではないだろうか。なので、先日は樽見の描いた絵を見たいと言ったが、前言を撤回します。見たら、きっと即死級の美しさだ。

 また、島村の独白の中で散見される「です・ます調」に関する考察もちゃんと準備をしてからにしたい。(時間がかかりそうなので、抜き書きをスタートして5分で断念したのだ。)

 

 話を戻して、青春恋愛小説の枠をはみ出ていると感じたのは同居生活の描写からだった。同居って恋愛そのものではないかと思う人もいるかもしれない。たしかに、そうではあるが、引っ越しの描写、つまり、新たな生活空間づくりの描写が丁寧かつ落ち着いた筆致で進めらているのを読み直す過程で気づき、そこがいいなと思えたのである。ラブラブ同居生活の甘い時間の部分もおもしろいけど、なんだろう。『あだしま』の新しい魅力を発見できたよう気がする。引っ越し作業の中で安達が高校時代を回顧する描写とか、いいなと思いました。恋愛描写にはない要素?ちょっと、自分でもなにを書いているか、あやしくなってきたけど、おそらく、のどかな日常のひとこまがいいのかもしれない。ふたりはこうやって歳を重ねていくのか…みたいな。文章を読んでいるはずが、同時に作品内の時間がもっと先のほうまで流れている感覚がある。

 

 アニメ化されたら見たい場面

 バレンタインデートでの島村の独白

 「安達は、手をつなぐことが好きだ。

  お互いの心に、きっと桜が咲くから。

  そう、今も。

  二人のための桜が冬という時の流れさえ厭わず咲き誇った。」( 『安達としまむら』10巻、p.227)

 とてもきれいな場面になる予感がする。

 

 今日書けなかったところは時間をとってじっくり考えたい。(予定)