忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

少し関心のあること

 繊細ということと傷つきやすいこと

 これは別物じゃないか。

 まあ、勝手に結び付けていたのはぼくなのだが…

 それと回顧するときに感情をのせるのは当たり前ではないかもしれない。まあ、よくわからない。

 あと自分の場合、きっと英語を習ってから時制意識に敏感になったのかも。

 それだけじゃないな。回顧という行為自体、不思議なものだと思う。

 

 ちょっと時間があったら調べてみたいことをメモ

 日本語文法の体系化は外国の言語学の影響下で行われたのか。

 日本語の文法の体系化がなされる以前は時制はどのように考えられていたのか。

 

 この間、軽率に「記憶は思い出になるのか」と書いてしまったので気になっている。