忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

クレヨンを買う

 色鉛筆と迷った末、クレヨンにした。

 水彩は片付けが面倒なので初めから選択肢には入れていない。最終的にクレヨンにした決め手は目が悪いから。大雑把に色をのせるにはクレヨンがいいのではないかと。(素人考えです。)ただ、色鉛筆もおもしろそうなのでいずれ挑戦はしてみたい。

 

 

 柄谷行人が柳田をどう理解していたか?読んだはずだけれど、何も覚えていない。『山の人生』についてなにか書いていた記憶もあるが、それも覚えていない。

 まあ、でも柄谷はとても堅実な指摘をしていたと思う。文学の批評と批評の批評は違うというようなお話。(文学が読める/読めないみたいな話ではなく、おもしろい、たとえば、物語とおもしろい批評は違うという話だと思った。おバカがでてくるおもしろい批評とかあるのかもしれんけれど、ぼくは知らん。)今の柄谷の著作はひとつも読んでいないけれど、批評を続けているのだろうか。

 柄谷の書いたものでは坂口安吾論がおもしろかった記憶。

 柄谷による吉本批判はぼくはよくわかっていない。『言語にとって美とはなにか』も批判されているのだろうか。学術的貢献がないという批判であるなら、その通りだと思う。『共同幻想論』は外部からなんたらかんたらみたいな話なのだろうか…幻想が幻想であることを指摘できるのは外部からのみみたいな。うーん。

 話はそれる。幻想を幻想であるというとき、そこにしょせん幻想にすぎないという含みがあり、それでしょせんつくりものにすぎないそれにとらわれ過ぎている吉本の幻想論を批判できていると思うなら、それは大間違いだ。つーか、最近のネットで話題のインフルエンサーさんを批判するつもりはないけど、教育論など、それっぽいお話をするとき、もうちょっと吉本的感性があるとおもしろいのにと思わんでもない。『とある』の上条さん的なものでもいいのだけど…まあ、ぼくがもうおっさんなだけかも。もしくは、ゼロ年代批評とかまったく参照していないから、本当に時代遅れなだけか。まあ、いいか。よくわからん。

 それに対幻想と共同幻想を接続する手際など今、読んでも、けっこうおもしろくて睡眠導入剤代わりに年に2回くらい読んだりするんだよな。詩も寝る前にはちょうどいいかもだ。(ステマですね。)

 ちょっと書くのは躊躇しちゃうけど、糸井さんの吉本紹介の仕事は尊敬するが、良くも悪くも好々爺な側面だけが強調されすぎでは?と思う。悪魔の翼が生えていることを忘れてはいけない。

 

 アニメはちょっと今期は録画したものをすべて見る自信?がない。非常におもしろい作品がおおく、ぜいたくな悩みだが、時間が足りない。自信ではなく、時間が足りんのだ。最近、睡眠時間をたくさんとっているからか。